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【噴水台】李明博と田中角栄、似ている点も多いが似ないでほしいことも

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.05.08 11:43
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先週土曜日、京畿道驪州(キョンギド・ヨジュ)の漢江(ハンガン)堰を初めて見物した。聞いていた通りに壮観だった。周辺はまだ整備があまり進んでおらず散らかっているが、シラサギがはいあがる姿を形象化したデザインは見ものだった。ちょうどこどもの日で遊びに来た家族連れも多かった。自転車族も先月開通した漢江自転車道を生き生きと行き来した。近くのマッククス屋は足の踏み場がなかった。

4大河川事業の成否は李明博(イ・ミョンバク)大統領の退任後の評価を左右する重要な基準になるだろう。個人的には4大河川すべてを一気に進めず時間を置いて段階的に施行したならという考えだがすでに過ぎたことだ。投入された多額の税金が惜しくても良い成績を受けられるよう願うほかはない。

 
李大統領は大統領当選後にしばしば日本の田中角栄元首相と比較された。1972年から74年にかけて首相を務めた田中は李大統領のように田舎で貧しく育ち苦学生生活を経て自分の力で財を成した政治家だった。田中は側近の二階堂進が「コンピュータ付きブルドーザー」というニックネームを付けたが、李大統領も自身のニックネームが「コンピュータ付きブルドーザー」を縮めた「コムドーザー」と話したりした。1945年8月に日本が敗戦した当時、田中は自身の会社の田中土建工業韓国事務所があった大田(テジョン)駅近くの旅館にいた。瞬発力に優れた彼は韓国人従業員を集め、「全財産を新生朝鮮に寄付する」と宣言し、無事に日本に帰国した。大阪生まれの李大統領はほぼ同じ時期に故国に帰ってきた。土木・建築分野に強い人生履歴は決定的な共通点だ。執権後に各自長所を発揮した。田中は「日本列島改造論」を実行に移し全国的に土木工事を行ったし、李大統領もやはり4大河川事業を進めた。

在任中経済危機に襲われた点も似ていた。田中は第1次石油危機の直撃弾を受け宿敵の福田赳夫を消防士(大蔵大臣)として迎え入れ日本列島改造論を廃棄するという屈辱的な条件を甘受した。李大統領も金融危機で困難を経験した。日中修交(田中)とG20首脳会議(李大統領)のように外交はうまくやるが内政で迷走するという評価も同じだ。

李大統領にどうか田中に似てほしくないという点は、退任後に捜査を受けることだ。田中はロッキード事件で起訴され法廷を行き来して93年に死去した。1審で懲役4年、追徴金5億円の重刑を受けたが控訴審を控え死亡したため公訴棄却で終わった。今後田中のようになればという点もある。退任時に最低水準だった人気が歳月が流れるほど上昇する現象だ。2009年に朝日新聞が人気投票をした際、田中は戦後の首相で1位に選ばれた。2位は吉田茂、3位は小泉純一郎だった。まだ遅いとはいえない。

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    2012.05.08 11:43
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    日本の田中角栄は側近から「コンピュータ付きブルドーザー」というニックネームをつけられていた。
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