金淇春氏が新しい秘書室長に…「党・政・青のコントロールタワー」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.06 10:59
朴槿恵(パク・クネ)政権の「第2期青瓦台(チョンワデ、大統領府)」を率いる金淇春(キム・ギチュン)新任秘書室長は朴大統領家と縁が深い。ソウル大法大在学時代の金室長は、朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領と陸英修(ユク・ヨンス)夫人の名前から付けられた「正修奨学会」の第1期奨学生で、その後は同奨学会の同窓会「常青会」の会長として活動した。
公安検事時代だった1974年8月には、文世光(ムン・セグァン)」の陸夫人狙撃事件を引き受け、長い捜査の末、犯人の自白を引き出した。また朴元大統領が1979年に逝去する直前には青瓦台法律秘書官を務め、維新憲法を民主的に緩和し、後任者に政権を譲り渡すための作業を支援する役割をした。
金淇春室長はあるインタビューで、「1979年2月(朴元大統領の退任作業のため)実務チームが構成されたが、朴元大統領が突然逝去し、文書化した“作品”一つ作ることができず、歴史の中に消えてしまった」と述懐した。
前任の許泰烈(ホ・テヨル)秘書室長に続き、金室長も2代にわたり父・娘の大統領を補佐したという共通点がある。さらに金室長の婿の安祥薫(アン・サンフン)ソウル大社会福祉学科教授は、大統領職業務引き継ぎ委員会の雇用福祉分科引き継ぎ委員として参加した。こうした長い縁と朴大統領の信頼が深いという点が秘書室長抜てきの背景になったという分析が出ている。
金室長は朴大統領が政界に入門した後も“メンター”として関係を続けてきた。07年のハンナラ党党内選挙当時はキャンプ法律支援団長を務め、元老諮問グループ「7人会」の核心として朴大統領に政治的助言をしてきた。秘書室長抜てきに関し、セヌリ党から「推進力と掌握力を強調した人事」(趙源震議員)という評価が出るのもこうした脈絡からだ。
金室長もこの日、任命発表の直後、記者に対し「国民全員が良い暮らしをする幸せな大韓民国をつくるために力を注いでいる大統領の国政構想、国政哲学が支障なく具現されるよう、微力ではあるが誠心誠意を尽くして補助したい」と述べた。
朴大統領が下半期の国政運営の軸を民生の安定と経済再建に置いている点を考慮すれば、金室長は青瓦台だけでなく、各部処と青瓦台を調整するコントロールタワーの役割をするという観測が出てくる。大統領の後見人として実質的に党・政府・青瓦台をまとめる指令塔の役割をすることになった。
朴大統領が許泰烈前室長(68歳)より高齢(74歳)にもかかわらず金秘書室長を任命したのも、業務能力と検察総長・法務部長官と3選国会議員を務めながら築いた豊富な経験と知性を高く評価し、青瓦台参謀陣を督励しながら安定的に党・政・青を率いていく適任者と判断したためという分析だ。
金室長は法と原則を重視するという点で、朴大統領と同じ原則論者に挙げられる。公安検事時代には原則を重視する業務処理で“ミスター法秩序”と呼ばれた。検察総長から退いた後、長官になるまで公職に就かなかった時期も、自宅でスーツを着て居間から書斎に“出勤”したというエピソードがあるほど、原則を重視する完ぺき主義者と知られている。
しかし公安検事出身の金室長の青瓦台入りで「第2期青瓦台」が原則を前面に出した強硬一辺倒になることを懸念する声もある。今回ともに青瓦台参謀となった洪景植(ホン・ギョンシク)民政首席秘書官も同じ慶尚南道出身で、公安通の検事出身だ。洪首席の人選に金室長の推薦が影響を及ぼしたという分析がすでに出ている。
同じく検察出身の鄭ホン原(チョン・ホンウォン)国務総理と黄教安(ファン・ギョアン)法務部長官も金室長の人脈に分類され、場合によっては政治的負担として作用する可能性がある。鄭総理は金室長の慶南中の後輩で、黄長官は金室長と同じ公安検事を務めた。