「于山島が独島」…19世紀の「海東輿地図」を分析

「于山島が独島」…19世紀の「海東輿地図」を分析

2009年02月23日17時32分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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   22日、日本の島根県は例年のように「竹島の日」行事を開いた。 韓国の領土である独島(ドクト、日本名・竹島)を「日本領だ」と主張する行事で、午後1時から3時間ほど記念式や講座が開かれた。

  これに対し、世宗(セジョン)大独島総合研究所長の保坂祐二教授(53)は「独島は韓国の領土」であることを改めて確認できる史料と解釈を出した。 保坂教授は独島問題専門家として広く知られる日系韓国人だ。

  日本人はその間、「韓国の古地図に頻繁に登場する鬱陵島(ウルルンド)付近の島は現在の独島ではない」と主張してきた。 日本側は「韓国の古地図に表示された于山島は鬱陵島(ウルルンド)近隣の島である竹嶼島を指す」という主張を繰り広げた。 しかし竹嶼島は鬱陵島のすぐ前にある附属島嶼で、観音島など近隣の他の島や暗礁のように地図に別途に表記する理由のない島だ。

  保坂教授は19世紀前半に描かれた「海東輿地図」(彩色筆写本・国立中央図書館所蔵)に出てくる于山島の絵に注目した。 于山島にははっきりと峰が描かれている。 鬱陵島観光名所の一つである竹嶼島は平地形態で、海底からそのまま隆起した独特の姿の島だ。

  保坂教授は「竹嶼島には峰が存在しないため、19世紀に筆写した『海東輿地図』に出てくる于山島は明確に今の独島を指す」と説明した。 日本側の「朝鮮時代には独島に対する認識がなく、古地図に出てくる于山島は今の竹嶼島に該当する」という主張に対する反論だ。

  19世紀初めの「海東輿地図」の筆写本だけでなく、19世紀半ばの「海左全図」(嶺南大博物館所蔵)にも、鬱陵島の隣の于山島に峰の絵が描かれている。 さらに日本は当時、朝鮮のこの「海左全図」を筆写して残したが、日本側の「海左全図」(日本国立公文書館所蔵)の于山島にも峰が表示されている。

  保坂教授は「『独島は歴史的に日本の領土でなかった』と指摘する日本の良心的学者も『しかし朝鮮にも独島に対する領有意識はなかった』と話す」とし、「しかし朝鮮時代の史料と古地図の相当数が独島(于山島)を明確に記録している」と述べた。

  保坂教授は「特に独島を表記して峰を描いた地図は、朝鮮人が当時、独島の地形をはっきりと認識し、明確な領有意識を持っていたという点を見せている」と強調した。

  

19世紀初めに描かれた「海東輿地図」彩色筆写本(国立中央図書館所蔵・上)。 鬱陵島と独島(于山島)付近を拡大した絵。 「独島は日本の領土」と主張する人たちは「朝鮮の古地図に出てくる于山島が今の独島ではなく竹嶼島」と主張している。 保坂所長は「平地形態である竹嶼島の地形上、峰が存在すると見ることはできない。 峰が描かれた于山島は明確に今の独島を指す」と説明した。 峰が描かれた于山島は19世紀半ばの「海左全図」(嶺南大博物館所長)にも出ている。 当時、この地図を筆写した日本側の「海左全図」(日本国立公文書館所長・下)にも于山島に峰の表示が見られる。



  
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