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脱北過程の想像できない苦痛、世界に知らせたい(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2015.07.06 10:55
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北朝鮮を脱出して韓国に定着した脱北者数は3万人に迫る。彼らは北朝鮮政権の圧制と空腹から抜け出すため故郷に背を向けたが、脱北者に対する韓国社会の関心は以前と同じではない。だが、米国など西側諸国は北朝鮮の人権状況改善のために彼らの声に積極的に耳を傾けている。イ・ヒョンソさん(35)も国際的に良く知られた脱北者の1人だ。2013年2月に脱北者としては初めて米カリフォルニア・ロングビーチで開かれた世界的知識講演会であるTEDを通じ北朝鮮の実情を暴露した。彼女の講演動画は現在まで400万人以上が視聴した。2日には自身の経験談をまとめた『7つの名前を持つ少女:ある脱北者の話』を英国で出版した。近くドイツなど20カ国余りでも出版する予定だ。イさんは英BBCなどとインタビューし、まもなく米国を訪問してCNNなどにも出演する予定だ。著書の刊行を控えドイツを訪問した彼女と会った。

◇11年間中国で隠れて暮らし韓国へ

 
――韓国より海外で先に本を出したが。

「個人的な考えでは韓国人は脱北者問題に対し別に関心がないようだ。むしろ海外では北朝鮮の人権問題に対しとても大きな関心を傾けている。海外でベストセラーになればその後に韓国で出版する計画だ」

――どのように脱北することになったか。

「私は比較的豊かな家で育った。幼い時から北朝鮮が世界で最も立派な国という教育を受け、そのまま信じていた。17歳だった1997年に北朝鮮がとても閉鎖的で恐ろしい社会ということを悟り始めた。鴨緑江に近いところに住んでいたので中国に対する好奇心も大きかった。結局1人で川を渡り国境を超えた」

――脱北後は困難が少なくなかっただろう。

「中国人を装い10年以上瀋陽と上海などで暮らした。名前ももともとのパク・ミニョンからミラン、スンヒャン、スンジャなど何回も変えた(イ・ヒョンソという名前はソウルの姓名判断で新たに付けた)。逮捕される危機もあったが中国語が流ちょうだったおかげで飲食店従業員、韓国企業の通訳などとして働くことができた。2008年に中国当局の脱北者取り締まりが激しくなりソウルに来た」

――脱北時に北朝鮮に家族はいなかったか。

「母と弟が北朝鮮に残っていた。2009年末にブローカーを通じて家族を中国から脱出させた。当初ベトナムを通じてソウルに連れてくる計画だったがうまくいかなかった。ラオスに経由地を変えたが予想外に家族がラオス当局に逮捕され数カ月収監された。当時私は持っているお金をすべて使ってしまった状況で四面楚歌に陥った。奇跡が起こった。偶然出会ったオーストラリア出身のバックパッカーが私の事情を聞いて1000ドルを超えるお金をくれた。私が『どうして助けてくれるのか』と尋ねると、彼は『私はあなたを助けるのではなく北朝鮮の人々を助けるのだ』と答えた。その時世界を見る私の見方は大きく変わった。冷笑的だった態度が変わり他人に対しても暖かい感情を持つようになった。2013年にオーストラリアのある放送局の斡旋によりシドニーでその恩人と再会することもできた」(中央SUNDAY第434号)


脱北過程の想像できない苦痛、世界に知らせたい(2)

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    2015.07.06 10:55
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    2013年2月に米カリフォルニアで開かれたTEDの講演でイ・ヒョンソさんが脱北者の人権などに関し英語で説明している。(写真=TED)
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