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<金泳三元大統領死去>闘争そして妥協…金元大統領に「政治は可能性の芸術」だった

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.23 10:25
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「大きな山(巨山、金泳三元大統領の号)」のような、大きな政治家金泳三(キム・ヨンサム)大統領を送る国民の心は複雑だ。金大中(キム・デジュン)、金泳三、金鍾泌(キム・ジョンピル)がともに演出した「三金時代」という韓国政治のロマン時代が幕を下ろしつつあることに対する残念さのためだけではない。それよりは「政治は可能性の芸術」というビスマルクの名言が忘れられながら積もっていく不安の証ではないだろうか。国家存亡の危機で綴られた過去半世紀の韓国政治史で金元大統領は人間の夢と決意から来る自信と宿命的限界に対する謙虚さを同時に持った大きな政治家だった。そんな大きな政治家の姿を徐々に見つけにくい時代に入っている。

金泳三大統領はだれよりも自信感があふれる、しかし宿命に逆らわない政治家だった。政治を導こうとするなら確固とした目的意識とビジョンは必須要件だ。独裁と不義に抵抗する徹底した意識と民主化ビジョンがあったから23日間の断食闘争が可能で、「飢えれば死ぬ」という人間の限界を軽く考えない常識を尊重したので妥協を通した共存の、そして共同体の政治を領導することができた。

 
特に1987年の民主化直後に第2野党である統一民主党の金泳三総裁(当時)は国会統一特別委委員長に朴寛用(パク・グァンヨン)議員を推薦し89年に民族共同体統一案が4党合意で採択されるのに大きく貢献した。1番目は韓半島(朝鮮半島)で再び戦争があってはならないという平和原則を、2番目は統一へ向けた前進は南北間の協議と協力で推進されなければならないという自主原則を確認した。94年の第1次北朝鮮核危機に直面した時に北朝鮮への軍事措置を通じた解決策を考慮する代わりに南北首脳会談合意を引き出したことは歴史的意義が大きい業績だった。平壌(ピョンヤン)での首脳会談2週間前、突然の金日成(キム・イルソン)主席の死去で実現できなかった平和統一構想は金泳三個人だけでなく韓民族には悪運であり、無念さを残したまま今日に至った。

民主化以降12年の公職生活で金泳三大統領から格別の指導と配慮を受けた私としては、あの方特有の人間的な温かさを決して忘れることはできない。ソウル大学の同窓であることを誇らしく思い教授出身である私にいつも親しくされたが首相や党代表のような重責を任せられながらも政治的な問題は本人の意志により決めろという立場を守られた。早くから私には政治がよく合わないと判断された慧眼、その一方で後輩との人間的信頼関係を守られた故人の人間像に深い愛情と尊敬心をいつも胸に納めて生きている。行かれる道も大道無門の信念の通り、一生を信じて頼られた神様のそばに進まれるだろうと信じる。安らかにお行き下さい。

李洪九(イ・ホング)中央日報顧問(金泳三政権時代の1994~95年に首相在任)

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