「全斗煥元大統領の回顧録、5・18民主化運動を弁解」…光州で怒りの声

「全斗煥元大統領の回顧録、5・18民主化運動を弁解」…光州で怒りの声

2017年04月05日14時49分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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1981年10月、玉浦造船所竣工式に出席した全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領と李順子(イ・スンジャ)夫人。(中央フォト)
  全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領(86)夫妻が最近、相次いで出した回顧録のために光州(クァンジュ)地域社会が騒がしくなっている。1980年の光州5・18民主化運動の加害者とされる当事者が自らを「5・18犠牲者」と表現したからだ。光州地域の5月団体(遺族会、負傷者会、拘束負傷者会)は夫唱婦随のようにそろって5・18の責任を回避した夫妻に怒りを表出している。

  全元大統領は3日に出した『全斗煥回顧録』で自身を「5・18の治癒と慰撫のために犠牲になった」と表現した。

  また「5・18の衝撃が消える前に大統領になったのが原罪になり、十字架を背負うことになった」とも主張した。自身が5・18直後の大統領になったことで5・18の傷を治癒する犠牲になったということだ。

  しかしこうした主張は検察の捜査結最高裁判所の判決を無視するものであり、非難の声が出ている。最高裁判所は1997年4月、5・18と12・12事件に対する確定判決当時、全前大統領に対する内乱目的の殺人容疑を認めた。当時、新軍部が12・12軍事反乱で軍事力を握った後、戒厳軍を動員して光州市民を虐殺した事実が検察の捜査と裁判を通じて明らかになった。

  全元大統領が「良民に対する軍の意図的かつ無差別的な殺傷行為は起きなかった」と主張した部分にも非難が集中している。80年以降の真相調査の結果、5・18当時に民間人165人が死亡し、82人が行方不明になったことが明らかになったからだ。当時、新軍部側がデモ鎮圧のために空輸部隊を派遣したことで民間人の殺傷被害を増やしたということも、各種資料と証言によって歴史的事実として記録されている。

  李順子(イ・スンジャ)夫人(78)が先月24日に出した自叙伝『あなたは孤独でない』も被害者に傷を残した。李夫人は自叙伝で「私たち夫婦も実際、5・18事態の悔しい犠牲者」と主張した。5・18の責任と当時の発砲命令者が全元大統領という疑惑も強く否認した。これは全前大統領が80年に出した光州再進入作戦の範囲内に発砲命令があったと判断した最高裁判所の判決と異なる。

  また李夫人は80年当時、新軍部の強圧によって下野した崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領の退陣についても「崔元大統領が夫に後任になることを勧めた」と書いた。しかし5月団体は「崔前大統領が1980年8月16日に下野したのは新軍部の強圧のためというのが明白な歴史的事実」として反発している。

  また5・18に対する反省どころか責任を回避する本を出したことに対し、「5・18加害者が英霊にもう一度癒やされない傷を与えた」と批判した。

  全元大統領夫妻が「5・18民主化運動」を「光州事態」と数回表現した点も5月団体の反発を招いている。「懺悔録を書くべき人たちが無責任な弁解録を書いた」という指摘だ。

  5月団体は全元大統領夫妻が回顧録を出した時期と背景にも疑問を提起している。朴槿恵(パク・クネ)前大統領の罷免・逮捕で右翼勢力が結集しようとする動きを見せる時期と無関係でないとみているのだ。

  キム・ヤンレ5・18記念財団常任理事は「回顧録は内乱殺人犯罪者の妄言」とし「5・18当時に民間人を無差別虐殺し、今は犯罪回避までする厚顔無恥な行為であり、5・18英霊をもう一度悲しませている」と指摘した。
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