日本「対馬は日本の領土」を主張…あちこちで韓国の痕跡消す

日本「対馬は日本の領土」を主張…あちこちで韓国の痕跡消す

2013年11月26日09時26分
[ⓒ ISPLUS/中央日報日本語版]
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百済に由来する樹齢1500年のイチョウ(上)と「対馬は日本の領土」と表示した厳原港近くの表示板。
  「対馬島民は日韓親善を大切にする韓国人を歓迎します。日本固有の領土対馬は、歴史と観光の島です」

  韓国人が大挙入港する対馬南端厳原港近くの表示板にはこのような文面が書かれている。以前その場にあった表示板が「韓国人を歓迎します」という文面だけだったのとはまったく違う状況だ。

  何年か前から対馬が韓国の領土という主張が提起されると、日本は対馬の各地に散在する韓国関連の痕跡を消し始めた。対馬は釜山(プサン)港から49.5キロメートルの距離で、日本本土よりも韓国の方が近い場所だ。島全体で農耕地は3%にすぎず、昔から韓国の支援を大きく受け、現在も韓国人観光客により地域経済が維持されている。

  対馬が韓国の領土だったという根拠は実際に少なくない。『朝鮮王朝実録』が対馬を朝鮮領だと記録し、朝鮮英祖(ヨンジョ)時代に作られた『海東地図』も「白頭山(ペクトゥサン)を頭に、済州(チェジュ)と対馬を両足とみる」と示した。日本に連れて行かれ悲運の生活を送った高宗(コジョン)皇帝の娘の徳恵(トクヘ)翁主奉祝記念碑、崔益鉉(チェ・イクヒョン)殉国碑など韓国関連の遺跡があちこちに散在しているため韓国人観光客の足が途絶えることなく続く。韓国ではツアーコムなど対馬専門の旅行会社が活動している。

  百済から由来する樹齢1500年のイチョウの木の横に設置された新しい表示板も「百済」という単語を抜いてしまった。対馬が百済の影響を受けたことを表わさない措置だ。厳原の金田城もやはり百済系の人たちが作った城という表示板がなくなった。

  2005年に馬山市(マサンシ)が「対馬条例」を制定し、6月19日を「対馬の日」に決めるのを先導した馬山文化院のイム・ヨンジュ院長は、「対馬は韓国の旧領土だ。1860年以前に韓国で製作された地図はすべて対馬が韓国領だと示している。李承晩(イ・スンマン)大統領が1948年から韓国戦争前まで数十回にわたり日本に対馬返還を促した。韓国が国力を育て対馬を返してもらう日を待たなければならない」と話している。
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