<Mr.ミリタリー>参謀を無視したヒトラー、軍隊を信頼しない文政権…その結果は没落(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.08.03 09:30
国の運命は命を投じた軍人の犠牲で救われることが多かった。しかし軍人の精神が崩れたり軍隊システムが作動せず国を滅ぼした歴史もある。軍隊は国が安保危機に陥った場合に備えて戦術・戦略を練磨して訓練する。そうであるべき韓国軍が最近、混乱している。軍に対する不信感が強いからだ。国軍機務司令部の戒厳令文書に関連したクーデター説と防衛事業の不正、国防部長官と国軍機務司令部大佐の舌戦、国防改革による将官縮小などで軍がどこまで墜落するのかが懸念される。
1894年7月29日午前3時、京畿道安城(キョンギド・アンソン)。漢城(ハンソン=ソウル)から出発した日本軍と牙山(アサン)湾に上陸した清軍の最初の地上戦闘があった。日本軍の大島義昌少将が率いる3000人の兵力と清軍の葉志超と聶士成が率いる2500人は安城(アンソン)川と成歓(ソンファン)に続いて2日間の戦闘をした。戦闘は清軍が大島少将の陽動作戦にかかり、成歓地域の主要陣地をすべて失って終わった。韓半島(朝鮮半島)の運命を分けた日清戦争の前哨戦だ。しかしこの戦闘で敗れた清軍の指揮官・葉志超は圧倒的な勝利と偽って報告した後、平壌(ピョンヤン)に撤収した。清軍は9月中旬に平壌でまた日本軍と戦闘をしたが、まともに戦うこともせず逃げたりした。清の根幹だった八旗軍の軍紀が瓦解し、腐敗した結果だ。(『日清戦争』陸軍軍事研究所)