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【噴水台】道を探す方法がなければ、つくっていく=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.09.03 13:05
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9月の最初の出勤日だった昨日の朝、バスに乗って光化門(クァンファムン)の四つ角を過ぎ、新しく変わった詩句を見た。「コロコロコロ/本の中でコオロギの声をきいた/私は目を閉じて/コオロギの声だけをきく」(キム・ヨンイルの児童詩『コオロギの鳴く夜』)。教保(キョボ)生命ビルにかけられた「光化門文板」だ。秋だなと思う。ソウル中心街の季節の変化は、光化門文板が衣替えをして始まる。そうでなくても何日か前から残暑までも衰えた兆しがはっきり感じられた。蚊と任務交代したコオロギの声が、耳をくすぐっていたところであった。その上、9月は読書の月。

草創期で広報中心だった光化門文板が変わったのは、1990年代末の外国為替危機のころだった。当時の教保生命のシン・ヨンホ会長(1917~2003)が「広報は考えず、市民らに癒しを」と提案して詩を掲げ始めた。光化門の四つ角に社屋を構え、地下の貴重な空間に商店街を入れて金を稼ぐような考えもせず、書店(教保文庫)を出した彼らしい発想だった。興味深いのは、教育保険を創案して大韓民国で一番大きな書店をつくったシン・ヨンホ本人は、もともと無学だったという点だ。小学校の門をくぐることができなかった。

 
シン・ヨンホは全羅南道霊岩(チョンラナムド・ヨンアム)の独立活動家の家に生まれたが、幼くして肺病にかかり普通学校(小学校)への入学時期を逃した。友人が4年生になった年に入ろうとしたが、年齢が高く定員が埋まったという理由で拒否された。家で独学した彼は、17歳から決心して3年間“1000日読書”をする。1000日間、図書館・知人らから数多くの本を借りて読破した。そして家を出てソウルから中国の大連に渡り、何もないところから事業を起こした。1日4時間以上寝ずに耐え抜いた1000日読書が大きい力になったことは言うまでもない。

ここまでは、ほどほどに自力で一家を成した人なら履歴書にある話かもしれない。しかしシン・ヨンホはさらに抜きん出た。多くの業種のうちの保険、その中でも教育保険を選ぶ。兄弟の1人が日帝時期に保険会社に勤めていた縁と、大学が“牛骨塔”(貧しい農家が牛を売って用意した学費でつくられた建物)と呼ばれるほど庶民家庭が苦労している実情を考慮した。1958年に大韓教育保険をつくった当時、商法は保険会社名に“生命”を入れることになっていた。彼はキム・ヒョンチョル財務部長官を何カ月間も追いかけては説得して“教育保険”として認可を受けることに成功した。世界保険協会(IIS)の世界保険大賞受賞、世界保険名誉の殿堂献呈、「保険の大師匠」推薦などは教育保険を創案して育てた業績のおかげだった。

故シン・ヨンホ会長10周忌を迎える明日の追慕の夜、写真展などの記念行事が開かれる。故人の座右の銘は「道を探す。方法がなければつくっていく」であった。大学進学率が70%を超える今日この頃、最高学府を卒業した若者たちが公務員・教師などの「慣れた道」を探す世相を、故人はどのように眺めるだろうかと気になる。

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    【噴水台】道を探す方法がなければ、つくっていく=韓国

    2013.09.03 13:05
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    イラスト=キム・フェリョン記者。
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