【コラム】人に会わなければならない=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.10.17 11:35
公務員の立場では請願人の訴えを聞かなくてもいい言い訳ができた。仕事の処理を急ぐ理由もない。頭が痛いものは「保留」のラベルを貼ってデスクマットの下に入れておく。規定さえ破らなければそれまでだ。請願人は公務員が会わないので急ぎだったりくやしい状況を説明する方法がない。ことが遅滞する間に請願人の心は焦がれていく。
大学教授も行動半径が萎縮した。人と会いにくくなった。金英蘭法違反申告1号が「学生が教授に缶コーヒーを渡した」だった。コメディのようだが、現実は現実だ。外部の人はもちろん教え子に接するのも楽ではない。学者は象牙の塔で本と向き合っていれば良いのに何が問題なのかと反問できる。果たしてそうだろうか。学問こそ現実と組み合わせてこそ生命力を維持できる。幼稚園・小中高校教師は父兄が訪ねてくるのをありがたく思わない。「先生の日」にカーネーションを受け取っても問題になる世の中だ。間違ったことはないのに周辺から不信のまなざしで見守られるのは気分が良くない。父兄に会って生徒の学業態度や進路を相談する意欲は大きく落ちる。
金英蘭法の対象である公職者・教師・教授・メディア関係者はどれも人を相手にする職業群だ。社会と疎通しなければややもすると危険な孤立無援の将軍になりかねない職業群でもある。公務員が請願人の請願を聞かず、教師が父兄に会わず、メディア関係者が取材源を遠ざければどんなことが起きるだろうか。金英蘭法対象者は人と会って本来の業務を遂行しなければならない。法を理由に挙げて職務を疎かにしては国全体が活力を失う恐れがある。