【コラム】事大主義の前に事小主義がある=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.02.04 16:25
北方政策の根っこは深い。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権時期だった83年6月29日、李範錫(イ・ボムソク)外務部長官は6・23宣言(平和統一外交宣言)の10周年記念の特別講義で北方政策という用語を初めて使った。ところで73年に朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は1年前の7・4南北共同声明を後押しする6・23宣言で「大韓民国はすべての国家に門戸を開放し、私たちと理念と体制を異にする国家も私たちに門戸を開放することを促進する」と述べた。結局、冷戦に対抗した北方政策は朴正煕の意志が全斗煥時代を経て盧泰愚政権の時に実現されたといえる。冷戦の最前線に置かれた軍人出身の大統領が運命的なくびきから逃れるためにもがいた過程はドラマチックだ。
今私たちは米中の利害が食い違いながら中心を見失い、ともすれば韓国・米国・日本vs北朝鮮・中国・ロシアの新たな冷戦状況に追いやられる危機を迎えている。北朝鮮と対立しながらも、かつて地球上で最も力の強い米国・ソ連・中国を相手に脱冷戦の勝負の賭けに出た気概が消えて久しい。モンゴル・シンガポール・フィンランドは韓国のように強大国の狭間で生存している小さな国々だ。一様にどちらか一方に傾かないよう必死で努力している。モンゴルは中ソ均衡外交をして両国がしばらくよそ見をしていた90年代に米国と西側を第3の隣国として選択した。モンゴルが米国・欧州連合(EU)・日本・韓国との関係改善に出ると不安になったロシアは2003年、債務の98%を免除した。