【コラム】揺れる自信、蔓延する不信=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.05 14:59
8月は日帝からの解放と国の主権を取り戻した光復を記憶して記念する月だ。68年前のその日、1945年8月15日の感激を銘記するには、あまりにも長い歳月が流れた。もうその日の感激と興奮は80歳以上の人たちだけが鮮明に記憶しているだろう。しかし1910年に国を奪われた日から国づくり(nation building)の努力は続き、我々は共同の運命を開拓するこの作業に着実に参加してきた。このため光復節を迎える我々に大きな感激がないとしても、国の未来に対する自省の時間は持たなければならない。
韓半島という地と北東アジアという住所、韓民族という国民、数千年を一緒に暮らしてきた民族の歴史は、すでに私たちに与えられている。しかしこの国と民族共同体がいかなる形態、方向で、どのような道を進むのかを決める国づくりは、時代と世代がいくら変わっても、我々には避けられない選択の過程だ。私たちの国民の胸の中に光復の感激よりも不満と不安が積もっているのなら、それはこの国が直面する選択の困難を反映するものだ。それは南北関係および国内外の事情の深刻性に劣らず、これに賢明に対処する共同体の姿勢自体が不安であることを自ら認めるところから始まる。