주요 기사 바로가기

韓国人強制徴用者「月給の代わりにタバコ受けながら…」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.12.31 09:17
0
太平洋戦争中の1943年春。全羅北道沃溝郡に暮らしていたキムさん(当時20歳)の家に日本人が突然押しかけた。キムさんはすぐに愛知県にある自動車工場に連れて行かれた。そこで月給をタバコで受けながら2年間、自動車付属品を組み立てた。終戦を控えたある日、戦闘機が工場を爆撃した。かろうじて逃げたキムさんはその間貯めたタバコで船賃を支払って帰国した。キムさんはきつい労役の後遺症で何度も病気に苦しんだ。

首相室傘下「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会」(以下、委員会)は2007年8月、キムさんを相手に訪問調査を実施した。キムさんは当時の調査で、「日本に連れて行かれた時に働いたところはトヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車)が運営していた挙母(現豊田市の旧名)工場だった」と述べた。

 
中央日報が30日に入手した「強制徴用企業名簿及び日本国内強制労働地現況調査結果報告書」には、アジア・太平洋戦争時期(1931-45年)の韓国人強制動員関連記録と日本国内強制労働地現況が具体的に出ている。

報告書によると、計4042カ所にのぼる強制労働地は日本全国に広がっていた。北海道(380カ所)、福岡県(243カ所)、兵庫県(239カ所)など海と隣接したところに主に分布していた。職種別には軍需工場(1151カ所)、鉱山(907カ所)、軍事施設(831カ所)などが多かった。

今回、強制動員が初めて発見されたトヨタ自動車は、挙母工場(愛知県)、刈谷工場(愛知県)にそれぞれ1人と6人の韓国人労務者を使った。当時、挙母工場では自動車、刈谷工場では航空機用エンジンが生産された。これを含め、日本国内の作業場は計4カ所だった。

北海道と秋田県で軍事施設工事を担当した伊藤組(伊藤建設)、廣野組(廣野建設)が運営した強制動員作業場はそれぞれ11カ所と9カ所にのぼった。農機械製作企業のクボタは作業場9カ所を運営し、日本国際航空工業や日本内燃機など日産グループの子会社も8カ所を管理したことが分かった。光学機器など精密機械の生産会社ニコン(7カ所)とコニカミノルタ(3カ所)、電子機器企業の東芝(2カ所)も作業場があった。

しかし当時、日帝は韓国人労務者の賃金を控除したり強制的に積み立てさせた。軍需企業の費用支出、戦費充当金確保などのために各種手当、厚生年金、報国債券、保険など名目だった。チョン・ヘギョン委員会調査第2課長は「戦後きわめて一部の企業が未払い賃金や手当などの一部を日本法務省に申告したが、これが朝鮮人労務者供託金」とし「これは強制動員企業現況を把握できる重要な根拠」と説明した。


韓国人強制徴用者「月給の代わりにタバコ受けながら…」(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP