【中央時評】政策は思い浮かぶ通りに立てるものではない=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.26 14:44
問題は突然導入されるという公共機関のブラインド採用で学歴情報の排除が妥当なのかどうかということだ。まず、その公共機関の職務が学歴と関係のある能力と性格、すなわち知的能力と誠実さなどを全く必要としないなら、そのブラインド採用は妥当だ。学歴がこのような能力や性格と全く関係がないなら、それも妥当だ。もしかしたら2030代前半の若者就活生が履歴書に記載する資料の中でそのような能力と性格をよく表す説得力のある資料があれば、学歴情報は排除されてもかまわない。その面接法が何かわからないが、数時間や数日がかかってもその能力と性格をより把握できれば、当然学歴は排除される方が良いだろう。倍率100を超える競争率が普通であるため、数千人、または数万人にその深層(?)面接法を実施て選抜することが可能なら、あえて学歴情報が必要がないだろう。
人間の思考は「対応原理(corresponding principle)」を従う。すでにある問題をなすためにはなくす原因を探し、何かがなくて問題である場合は追加する原因を探そうとするものだ。おそらく韓国社会にすでに学閥問題があるため、学歴情報をなくせば良いと考えるのは自然だ。だが、考えが自然だからといってそれが正解ではない。人間の判断はどうせ与えられた情報によって決定される。与えられた情報が減れば、残っている情報の役割が大きくなる。この場合、より良い決定をするためには残っている情報がなくなった情報よりさらに有効なものでなければならない。それとも、むしろ情報をなくすよりは、より多くの情報を追加するのも学歴のような特定の固定観念からの影響を減らす効果的な方法という心理学の研究結果も多い。学歴が与える情報が必要なだけ影響を及ぼす方法を考える必要がある。
職務能力に関する明確な説明、それに適合した妥当な選抜基準と方法に対する社会的合意がないブラインド採用が何の問題を解決するだろうか。どうせ採用する数字は決まっているが、果たしてブラインド採用が若者の就職難を解決するだろうか。さらに深刻な問題は、もし就活生に明確な職務能力を告知せず、どのように選ばれるのかも理解させることができなければ、自身が挑戦しなくても良い理由を見出せない可能性もある。ただでさえ異常に高い公務員と公共機関の採用倍率がさらに高騰するのではないか懸念される。我々が望む社会は、多様な能力を必要とする様々な職種が共存して若者たちが自分ならではのそれぞれの能力を発揮できる世界だろう。どのような能力が必要かも分からない職種に皆が集まって不幸になる超競争社会ではないだろう。