【時論】リオ五輪中継が心地よくない理由=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.08.22 13:51
しかしいつのまにか国民はそのような解説に疲れを感じ始めた。4年ごとにすべての地上波がメダル獲得の現場を忠実かつ生き生きと伝えたおかげで、もう国民もメダルの可能性が高い種目の競技形式や戦略、さらに選手の当日のコンディションまで把握する目も養われた。そして世界トップレベルとの距離や脱落の地点まで予想するまでになった。幸運と不運、実力と衆寡不敵、戦略の不在まで識別できる国民に興奮と嘆息で一貫する時代錯誤的な解説はもう控えるのがよい。
スポーツと現実の境界は明確だ。スポーツはただ身体的優秀性を競う文化の一つのジャンルにすぎない。こうした区分が曇るほど民族主義の即物的刺激がうごめく。五輪は人間の身体的能力の多様さとすごさを楽しむ人類の祭りだ。いつ我々がウサイン・ボルト、マイケル・フェルプス、ソン・ヨンジェと朴仁妃を一度に見ることができるだろうか。こうした選手たちが見せるパフォーマンスは人間の身体が表す美しさの頂点だ。解説者はその美しさを悟らせる助言者にすぎない。隠れた該当種目の魅力を説明し、競技に没頭できるよう助けるのが解説者の役割だ。このため専門的な知識と豊富な経験、優れた話し方がそろわなければいけない。