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【時論】リオ五輪中継が心地よくない理由=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.08.22 13:50
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「スポーツはストーリーだ」。スポーツの意味をこのように的確にすっきりと伝える言葉も多くない。4年前のロンドン五輪当時に中央日報が掲げたキャッチフレーズは、少なくともスポーツに感動を見いだそうという限り修正の余地はない。スポーツの感動は起承転結の話の構造から始まる。そこから喜怒哀楽の普遍的な感情が選手の体を通じてそのまま伝えられる。

ところが今回のリオ五輪はこの感動の量と質が以前ほどではない。金メダルの個数を言っているのではない。表彰台の最も高いところに掲揚される太極旗(韓国の国旗)と愛国歌(韓国の国歌)が呼び起こす即物的な感情は感動の一部にすぎない。スポーツの感動は競技の全過程で汗まみれになった選手の体を通じて伝えられる。緊張と興奮、安堵と不安、自信と隠せない恐怖の混在、こうした微妙な感情がすべて選手の動きに関与する。このため選手の体は現存在を表す実存の記号となり、こうした理由のためスポーツは最終的に人間を話さなければならない。しかし韓国の五輪中継はいつもこの話の伝達に失敗してきた。多くの金メダルは夜中の睡眠を減らし、覚醒の視聴者に注入されたのは民族と国家の自負心だった。

 
しかし五輪を通じて視聴者が感じることができる感動が厳粛な愛国主義と金メダル数の自慢だけなら不幸だ。金メダルと国民の幸せは必ずしも一致しない。もうしそうであるなら、スウェーデンとフィンランドは幸せではないか、愛国心が足りない国であろう。むしろこうした国々がより気楽に五輪を楽しむのかもしれない。国の品格とは、落ち着いて五輪を楽しむことができる程度にあるのではないだろうか。

今回のリオ五輪が引っかかる理由もここにある。地上波の愛国主義競争と露骨な感情的中継放送が心地よくないのは私だけだろうか。ホンジュラスとのサッカー準々決勝で、ある放送局のアナウンサーは涙声で話しながら敗戦を伝え、フェンシングの中継陣は競技と関係がない女性選手の身体を指摘する性差別的な発言で物議をかもした。不適切な言葉が編集されるほどだった。

何よりも深刻なのは解説者の過度な感情移入だ。選手のミスを指摘する大きな声、勝利を促す内容のない解説は暑い夜にさらにいら立ちを感じさせる。リモコンを握ってチャンネルを回しても事情は同じだった。「よくやっている。もう少しだけ持ちこたえればよい」「それは違う。退いてはいけない」「最後まで最善を尽くさなければいけない」「ここまでくれば精神力の勝負だ。もう少し頑張ってほしい」。自動再生機のように繰り返されるこのようなコメントは解説というより応援に近い。理解できないわけではない。後輩や弟子の選手のプレーに一喜一憂するのは人情だろう。時に偏向的で家族的な解説は愛国の感情を高める興奮剤でもあった。少なくともかつてはそうだった。


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