<アシアナ機着陸失敗>“操縦室の第3の人物” 交代副機長「警告したが返事なかった」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.10 11:09
国土部の関係者は「ボン副機長と同じ組だったイ・ジョンジュ機長は着陸当時には操縦室におらず、機内のファーストクラスで休息を取っていたと聞いてる」と話した。
ボン副機長の陳述が事実なら、着陸当時、操縦士の間でうまくコミュニケーションができていなかったということだ。操縦士の間のコミュニケーション失敗や意見の衝突は、これまでの航空事故過程で少なからずある。
マルコム・グラッドウェル氏の著書『アウトライヤー』には、コミュニケーションの失敗による悲劇の代表的な事例として、1997年の大韓航空グアム墜落事故が登場する。機長の権威主義がピークだった当時、副機長が危機状況で婉曲話法を使ったところ、意見伝達の失敗で事故が発生したということだ。『アウトライヤー』では、大韓航空だけでなく、いくつかの国の航空会社で発生したコミュニケーション失敗事例が指摘されている。