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【コラム】「日王」と「天皇」の間

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.09.18 14:40
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 李明博(イ・ミョンバク)大統領が15日、聯合ニュース・共同通信とのインタビューで「天皇の訪韓が来年中にも実現すれば、両国にとって大きな意味になるのではないかと考える」と述べた。 その日、私は駐韓日本大使館の関係者と一緒に昼食を取った。 対話の途中で日王の訪韓の可能性が話題になった。 私は何気なく普段の感覚で「おそらく20年後くらいには実現するのでは」と話した。 相手はやや驚いたような表情だったが、外交官らしく、これに反論して自分の見解を強く主張することはなかった。 食事の後、新聞社に帰ってきたが、李大統領の記者会見の内容がニュースになっていた。 大統領は「来年にも」と言ったが、私が話した「20年後」はあまりにも長過ぎたのだろうか。 しかも明仁日王は1933年生まれで、今年で満76歳だ。

1990年代半ばの日本研修、東京特派員時代以降、直接・間接的に経験してきた韓日間の愛憎ドラマによって、私は楽観論を受け入れられなくなっていた。 両国関係は転がり落ちていくシーシュポスの岩、またはダカーポで埋まった楽譜のような関係だった。 このため自分も気づかず「20年後」という距離を置くことになったのだ。

日王の訪韓は盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の時代からずっと議論されてきた案件だ。 金大中(キム・デジュン)元大統領が最も積極的に計3回にわたり日王の訪韓を模索した。 金元大統領は98年の日本訪問を控え、日王に対する公式呼称を「天皇」に整理した。 訪日中の夕食会では2度でも「天皇陛下」と丁重に呼んだ。 だからといって金元大統領が格別に「親日」だったわけではない。 それ以前の大統領も夕食会では天皇と呼び、政府の公式文書も天皇だった。 相手国の呼称を尊重するのが外交慣例であるからだ。 李明博大統領も今回の記者会見で「天皇」と言った。 しかし民間は違う。 約10年前から韓国メディアは「日王」だ。 天皇・日皇、さらには日本の発音のまま「てんのう」と表記しようという主張も出てきたが、「日王」に落ち着いた。 大統領・外交当局の「天皇」とメディアの「日王」の間にはどの程度の距離があるのだろうか。

 
大統領の発言には重みがある。 日王の訪韓を取り上げたのは2回目で、「来年中」とまで言及したのだから、両国間ではすでに具体的な交渉が進行中と考えるべきだ。 「入口論」と「出口論」で容易に整理してみよう。 「入口論」方式は日王の訪韓の意味と前提条件、予想される効果、損益など貸借対照表を両国が検討・合意した後、訪韓の可否を最終決定する。 「出口論」に基づけば、まず訪韓を決定してから、具体的な内容を協議することになる。 どの方法がよいと話すのは難しい。 日本の慎重論者、特に右派では入口論が大勢であるはずだ。 韓国の立場では出口論を敬遠する理由はない。 重要なのは、日王の訪韓後、両国関係が以前よりも良くなるべきだという点だ。 ところが本当に環境が成熟しているのかどうかが疑問だ。

鳩山日本首相の就任を前後して韓国では新政権に対する期待が満開している。 過去の歴史に対する総論的な期待を超えて、韓日強制併合無効宣言、日王の高宗(コジョン)・明成皇后(ミョンソンファンフ)陵参拝と謝罪など、あらゆるアイデアが出ている。 相手に対する要求以外に韓国側が準備することはないのだろうか。 私は一度触発すれば他のすべての案件を覆ってしまう過去の問題の‘過剰代表性’を、私たちが真摯に省察する時期になったと考える。 対日意識の均衡を見いだす時期だと見ている。 反日感情が韓国社会の動力として機能する比重はその間かなり減ったが、それでもまだ大きい。 しかし力は過去から出てくるのではなく、現在と未来の実力から出てくるのだ。 「日王」と「天皇」の間の隔たりを縮める必要がある。 最も望ましいのは、韓日両国間に過去の歴史がもはや大きな話題にならず、日王が訪韓しても国民が「昨年はエリザベス2世女王が訪問したが、今年は天皇が訪れるのか」程度に普通に話せる風景であるだろう。 こういう姿こそ、少なくともさらに20年の歳月が流れてこそ可能だろうが。

                           盧在賢(ノ・ジェヒョン)論説委員・文化専門記者


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