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ソウル各地でビデオアート創始者ナム・ジュン・パイクと会う

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.07.26 15:01
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ナム・ジュン・パイク
2006年1月29日、米国マイアミで一人の東洋系前衛芸術家が亡くなった。翌日、ニューヨーク・タイムズは彼の死を哀悼する記事で「成功した反乱者」という論評を掲載した。既存の審美的観念を覆して笑い飛ばそうとする新しい世代の挑戦を理解し、その精神を死の直前まで持ち続けた珍しい人材、テクノロジーと電子メディアにいかにして人間性を付与するかにこだわったビデオアートの創始者と賛えた。世界に通じるブランドを持った唯一の人物と言ってもいいその人は、韓国出身美術家のナム・ジュン・パイク(1932~2006)。彼の他界はこのようにしてその革命的魂が吹き込まれた作品世界に対する評価を予告した。

それから10年。ナム・ジュン・パイク10周忌を迎えた彼の故国は、西欧中心の芸術秩序をかく乱しようと突進した文化テロリストをさまざまな展示と行事で振り返っている。科学者であり哲学者であると同時にエンジニアでもあった新しい芸術家種族の先駆者、ナム・ジュン・パイクを追慕する場所は「無秩序なものや驚きに多くの関心がある」という彼の生前の声が多く取り入れられている。

 
今月20日、ナム・ジュン・パイクの誕生日に合わせて彼の「大きい門の家」があったソウル清新洞197番地の韓国式家屋では、記念館造成事業のためのセレモニー「ハロー ナム・ジュン・パイク」が開かれた。色とりどりの帯で装飾された前庭で、造形芸術家キム・サンドンの告祀(コサ)パフォーマンス「百+Paik」が繰り広げられる中、視覚芸術家で音楽家のペク・ヒョンジンと楽士7人が太鼓や笛を吹きながら練り歩くキルノリで故人の魂を迎えた。11月末に公式開館するナム・ジュン・パイク記念館は彼が一生恋しがったと言われる故郷の家として復元され、彼を再発見する発信の場として活用される(02-2124-8970)。

「ナム・ジュン・パイクが長く住む家」と呼ばれる龍仁市(ヨンインシ)ナム・ジュン・パイク・アートセンター(館長ソ・ジンソク)は10周忌の追慕展として「ニューゲームプレー」を20日から開催している。ビル・ヴィオラ氏やジェフリー・ショー氏などメディアアーティスト34組による作品45点は、ナム・ジュン・パイクが追求したメディアの画期的な大衆コニュニケーション方式を「デジタルゲーム」として再解釈した。「ビデオは共同体の共同財産」と強調して「飛び越えろ」「世界を小さくしろ」という彼の叫びが聞こえるようだ。展示は来年2月19日まで(031-201-8500)。

ソウル徳寿宮(トクスグン)キルのソウル市立美術館(館長キム・ホンヒ)は、ナム・ジュン・パイクの芸術的同志であり1960年代のハプニング美術運動である「フルクサス」(Fluxus)の思い出を集めた。ナム・ジュン・パイク芸術の出発点でありその原動力となったビデオ彫刻、インスタレーション、パフォーマンス、ハプニング資料を観覧できる。31日まで(02-2124-8800)。

ソウル乙支路(ウルチロ)の東大門(トンデムン)デザインプラザ(DDP)学びの場で21日からスタートした「ナム・ジュン・パイク・ショー」はある天才芸術家の創作動機を5種類の物語で構成した歴史的報告書だ。「希望」「ノスタルジオ」「愛」「永遠」「理想」に分けて作家の原作に想像の遊びを重ね合わせた。10月30日まで(02-542-5543)。

ナム・ジュン・パイクの伴侶だった日本出身のビデオアーティスト、久保田成子さん(1937~2015)の口述を受けてジャーナリストのナム・ジョンホさんが記述した『私の愛、ナム・ジュン・パイク』(アルテ)は10周忌をむかえて改訂版が出版された。

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