300年前の朝鮮王朝を分裂させた義理論…2017年韓国に再び切り出した政界(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.10.23 15:14
(2)正祖の反撃、壬午義理=約束はそのまま守られなかった。1792年(正祖16年)嶺南(ヨンナム)儒者1万57人が連名して思悼世子の悔しい死と謀略を解明してほしいと上訴を上げた。いわゆる「嶺南万人疏」事件だ。
正祖は時を待っていたかのように封印を解除した。思悼世子を荘祖に追尊し、京畿道華城(キョンギド・ファソン)の隆陵(ユンヌン)に思悼世子の墓地を作るなど、父の政治的復権に出た。
壬午義理も覆して修正本を提示した。英祖の意思とは反対に、思悼世子を保護しようと努めてきた少論と南人(ナムイン)側を「本当の」義理として包装したわけだ。「辛任義理を認めて老論の地位に触れないから、私の壬午義理も認めよ」というのが正祖のメッセージだった。正祖は老論側を相手に報復はしなかったが、思悼世子を窮地に追い詰めた老論側は萎縮するほかはならなかった。