19世紀の半ばから後半にかけて太平洋を駆け巡っていた船は捕鯨船だった。 今は国際条約も制定され、捕鯨が禁止されているが、わずか100余年前まで鯨は最高価の貿易品目だった。 特に最高級香水の原料となる竜涎香(りゅうぜんこう)と品質の良い油を体にたっぷりと持つマッコウクジラは、捕鯨船の集中標的だった。
日本本土から南に1000キロ離れた小笠原諸島は当時、捕鯨の前哨基地で、重要な位置にあったため、米国と英国が目をつけていた。 先手を打ったのは自国の領土と刻まれた石碑を建てた英国だった。 続いて米国のマシュー・ペリー提督が日本に向かう途中、この島に上陸した。 艦砲外交で日本を屈服させて開港に導いたあのペリー提督だ。 ペリー提督は自国の捕鯨船に石炭を供給する貯炭所を建設するために小笠原総督を任命し、領有権を主張した。 外交交渉の末、この島が1876年に日本の領土として落ち着いたのは漁夫の利の産物だった。 英米がともに譲れないという計算から日本の領土への編入を了解したのだ。