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【コラム】米中協力時代を開く韓日関係の摸索(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.03.09 16:18
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韓日外交が正常軌道を戻りつつあるような兆しが見えている。数千年を宿命的な隣人として生きながら、両国間には幾多の迂余曲折があったが、今は共に解決していくべき目の前の課題があまりにも多い重要な時だ。長い歴史の中で、特に近代史の展開過程で、韓国と日本はそれぞれ違う道を歩みながら異なる経験と歴史認識を持つようになった。俗に、国際関係の方程式では地政学的位置が最も重要な常数だというが、それに劣らず重要なものとして、深く根をおろした国民意識が挙げられる。韓日関係も、やはりそういった国民意識間の明らかな違いを理解できないまま行われる外交努力は限界に至るほかない。どのようにしたら、こうした違いを衝突ではなく調和と共同利益の方向に導いていくことができるか、模索していこうとする努力が必要な時だ。

19世紀、西洋帝国主義勢力の膨張過程で、その圧力にどのように対応するかは韓日中を含めたアジア諸国最大の課題だった。そのような危機状況で、唯一日本だけが西洋文物を果敢に受け入れて国家体制を全面的に改造する近代化に成功した。その余勢で、日清戦争と日露戦争に勝利して強大国の仲間入りを果たした日本は、封建体制のアイデンティティにしばられていた韓国を強制併合して中国を侵略し、軍国主義時代に進入することになる。このような近代化過程で、日本は「開国のパラドックス」に処していたというのが日本学界の一般的な説明だ。西洋的文物と制度を全面的に受け入れた反面、日本固有の伝統と規範はどのように守るのかという近代化のパラドックスを避けることができなかったというものだ。このような説明の妥当性はさておき、日本の近代化過程は深刻な対外関係の二重性を内包していたということに注目する必要がある。

 
いわゆる「開国」を機に、19世紀中葉以降の日本の対外関係は、先進化した西欧との競争と、後進性に閉じ込められているアジアとの差別化という二重構造に陥ることになる。日本がアジアから抜け出て西欧隊列に入り込む二重的対外関係を指向することになった背景には、日本人の歴史認識の中に深く根を下ろした「中華コンプレックス」も作用しただろう、という仮設を考えてみよう。地理的に、あるいは文明史的に中国が天下の中心として受け入れられている伝統に、日本の知性は反発することができた。真の「中華」は、はっきりと義、道、理を体得して統治規範に受け入れた国家を意味するという、そして日本はまさにそういう国になることができるという論理が説得力を得る余地ができていたということだ。中国を追い越すべき大国と意識しながらも後進国として軽べつしてしまう「中華コンプレックス」が日本人の意識の中を占めていなかっただろうか。


【コラム】米中協力時代を開く韓日関係の摸索(2)

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