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ゴリアテのような在韓中国大使館…韓国で最大(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.10.23 15:05
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朝鮮時代末、事実上の清の朝鮮総督となった袁世凱。(中央日報写真DB)
とはいえ新築工事のために11年間も空いていた土地に2013年末に新しい中国大使館が建てられたことで、由緒ある中国人街が活気づいたのも事実だ。ソウル明洞一帯は朝鮮時代末からチャイナタウンだった。今はかなり減っているが、古い中国料理店がまだ並んでいる。さらに中国人の児童のための「韓国漢城(ハンソン)華僑小学校」(初等課程)が1909年からここに位置し、国内の中国人の求心点になるしかない環境だった。

特に最近は中国の経済成長と共に中国人観光客が集まり、ここ明洞はまたチャイナタウンとして生まれ変わる雰囲気だ。もともと中国大使館の場所は19世紀末、清の軍隊の駐屯地だった。1882年に壬午軍乱が起こると、これを鎮圧するために漢陽(ハニャン)に進駐した3500人の清の軍隊が買い取って駐屯したのが今の中国大使館の場所だ。その後、軍乱が落ち着くと清は朝鮮から軍隊を撤収し、漢城防衛責任者を残した。後に中華民国大総統にまでなった袁世凱だ。

 
事実上、清が派遣した朝鮮総督だった袁世凱はここに総領事館を建てて10年間ほど使用した。総領事館は1894年の日清戦争で清に敗れ、領事館に格下げされたりもした。

このような歴史的な背景のため、光復(解放)後の1948年に正式に国交を結ぶことになった台湾政府がここを大使館として使用することになったのは自然な流れだった。台湾政府は国交正常化以降、日本の植民地時代に使用した中華民国領事館の建物を使用していたが、1960年代に本国から資材を運んで4階建ての建物を建てた。しかし時間が経過するほど中国に比べて台湾の位置づけが弱まり、ここの大使館の運命も変わることになった。1992年に秘密裏に韓中国交正常化が進むと、大使館の建物と敷地は電撃的に中国に渡ることになったのだ。この過程を見ると、国際関係は非情であることを感じる。当時、韓国政府は中国との国交正常化発表日を月曜日とし、台湾側にはその前週の金曜日午後遅くに断交の事実を通知したという。あまりにも早くに知らせれば台湾政府が大使館の建物と敷地を売却するかもしれないという心配からだった。台湾の大使館の敷地は明洞の真ん中にある最高の要地であるため、1990年代当時でも5000億ウォンに達した。

こうした曲折の末、台湾の大使館を譲り受けた中国政府は従来の4階建ての建物があまりにも狭いと判断、新築工事を計画し、2002年に孝子洞(ヒョジャドン)に大使館を移した。しかし盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の行政首都移転計画で工事が延期され、2010年に工事が始まり、3年後に完工した。1882年の壬午軍乱当時に清から取得した土地に131年ぶりに大きな中国大使館が建つことになったのだ。

中国大使館は立派になったが、微妙な韓中関係のため今後順調に歩んでいくとは考えにくい。中国漁船の違法操業および高高度防衛ミサイル(THAAD)問題など両国間の問題が浮上するたびに各種団体が大使館前に集まってデモを行うからだ。2011年12月に枯葉剤戦友会の会員らは中国大使館前で中国漁船船長の海警殺害事件を糾弾するデモを行った。

特に北朝鮮人権団体は先月、中国が脱北者強制送還を中断しなければ大使館前に脱北少女像を設置すると発表し、第2の「慰安婦少女像」問題が浮上する可能性もなくはない。


ゴリアテのような在韓中国大使館…韓国で最大(1)

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