【噴水台】倭乱当時に連行された陶工・李参平を祭る日本

【噴水台】倭乱当時に連行された陶工・李参平を祭る日本

2013年12月20日13時29分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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イラスト=キム・フェリョン記者
  山は長く水は遠く/親を思う心は多く/どこで雁は鳴いて行くのか。

  孤山・尹善道(ユン・ソンド、1587-1671)がこの時調を作ったのは1616年、29歳の時だった。咸鏡道慶源に島流しされた頃の作品だ。山と水は果てしなく続き、親に対する懐かしさは計りしれない。流刑地での悔恨と孝心が深くにじみ出ている。

  同じ時期の日本に目を向けると、1616年、九州の佐賀県で大変なことがあった。朝鮮出身陶工の李参平(イ・サンピョン)が有田地方の泉山(泉山)で良質の高嶺土を発見し、日本初の白磁を作ったのだ。先週末、佐賀列車旅行で有田駅に降りた時、初めて目にしたのは「2016年は日本磁器産業400周年になる年です」とかかれた看板だった。

  有田駅の観光ガイドは、私が韓国人だと知ると、突然「李参平先生は私たちの有田住民の恩人です!」と叫んだ。妙な気持ちになった。その明るく親切な表情に対し、「李参平はあなたがたの先祖が拉致したのではないのか」という言葉を取り出すことはできなかった。壬辰倭乱(文禄の役)・丁酉災乱(慶長の役)は「陶磁器戦争」と呼ばれるほど、日本軍側が多くの朝鮮陶工を争って連れて帰った戦争だった。この人たちが陶磁器文化を日本に伝播し、欧州に日本陶磁器ブームを起こす先駆者の役割をした。

  有田旅行に持っていった兪弘濬(ユ・ホンジュン)明知大教授の著書『私の文化遺産踏査記-日本編』が大いに役立った。本をあらかじめ読んでいたため、泉山の巨大な磁石場や陶祖李参平の記念碑、李参平を祭神とする陶山神社などを興味深く訪れることができた。陶山神社の境内にある松尾芭蕉(1644-94)の俳句作品を見ることになったのも、兪教授の本のおかげだった。「雲折々人を休る月見かな」。

  しかし少なくとも李参平記念碑のすぐ下に位置し、李参平を神に祭っている場所であるのなら、芭蕉の淡々とした俳句より、親に対する深い思いを込めた尹善道の時調が似合うのではないかと思った。時調を作った年と、李参平が郷愁を抑えながら長い歳月をさまよい、磁石鉱を発見した年が一致するだけに。

  一方で、こういう思いが浮かんだ。壬辰倭乱当時に日本に連行されなかった陶工が朝鮮の地にはるかに多くいたはずだが、なぜ朝鮮の陶磁器産業は大きく発展せず世界的な名声を得ることもできなかったのか、子孫にきちんと伝授されなかったのか、先祖を恨めしく思ったりもした。切ない質問を投じる。当時朝鮮に残った数多くの陶工のうち、私たちが記憶する人は果たして一人でもいるだろうか。

  ノ・ジェヒョン論説委員・文化専門記者
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