【コラム】「創造政府」が先だ=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.07.09 16:24
端的な例として、ある項目において昨年度の予算が100とすれば、来年度の予算が200になってはならない理由があるだろうか。過去の形態に照らしてみると、倍増が必要な意味ある予算に対し、明確な理由もなく心証的にあまりにも多いという、まさに行政中心の考え方で大幅に縮小させてしまうこともある。もちろんすべてそうだということではない。しかし創造経済で政府の予算支出計画はこれではいけない。前年比2、3倍になったとしても、その理由が妥当であり、創造経済を実現するために必要なら、大韓民国全体の青写真に基づいて予算支出計画を立てなければならない。こうした予算の規模が、要求される予算に比べて大幅に減れば、これは国家の未来という観点で望ましくない。創造・創意的な考えは死蔵されていくはずで、それだけ大韓民国は小さくなるだろう。これは非常に悲しいことだ。
これとともに私たちが認知すべきことの一つは、ゼロベースでは大韓民国の総合的な青写真の下で予算支出計画を樹立しなければならないという点だ。このため教育・福祉・科学技術などの部処・分野別の個別的な接近ではなく、部処全体レベルの総括的・総合的な接近が非常に重要となる。すなわち340兆ウォンをどこにどれだけ配分してこそ意味があるか、特定予算が他の予算に及ぼす影響はどうか、そして構想する大韓民国がどのように進展するかを、あたかも映画フィルムが回るように鮮明に頭の中で描かなければならないだろう。しかし現在も相変わらず分野別の予算中心で形成されており、結局、過去のパターン通りに部処別予算に帰結する傾向が存在している。これは部分最適化はしても、全体最適化にはならない可能性が高い。