1本数十万ウォンの「シェフの必需品」…日本の貝印が作る包丁(1)

1本数十万ウォンの「シェフの必需品」…日本の貝印が作る包丁(1)

2014年09月29日11時23分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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壬辰倭乱当時の朝鮮の大将(右)と日本の大将が刃で争う絵。19世紀に日本の画家月岡芳年が描いた。ソウル大学のキム・シドク教授は、「東大門と咸興で起きた戦闘を混合して描いた」と話した。
  ドラマ『不滅の李舜臣』に出てくる一場面。1598年11月19日の露梁(ノリャン)海戦。李舜臣将軍の部下李英男(イ・ヨンナム)が日本の大将の脇坂安治をにらみつけた。2人の刀がぶつかる直前、月の光は脇坂が取り出した日本刀を明るく照らした。戦いで朝鮮刀は真っ二つになった。李英男は脇坂の刀に切られ凄絶に戦死する。

  60年間鍛冶屋で包丁を作る刃物職人のチュ・ヨンブ氏はテレビを見て「チッチッチッ」と舌を打った。彼は「壬辰倭乱が起きてから400年以上が過ぎたが、依然として刃物を作る技術は日本が進んでいる」と話した。彼は韓国戦争直後に日本で技術を習ってきた鍛冶屋から強いながらも刃がよく立つ鉄を作る方法を習ったという。彼が伝統技法で作った刃物は4万~5万ウォン程度で売られる。

  これに対し有名百貨店で売られる日本製品は数十万ウォンに達する。ソウル・永登浦(ヨンドゥンポ)の大型百貨店では岐阜県関市で作られた刃物ブランド「旬」が陳列台を最も広く占めていた。関市は日本の中心部に位置した都市で古くから侍同士の戦いが多く刃物を作る職人が集まった。

  この百貨店で日本の包丁価格は30万~40万ウォン。マネジャーのキム・ジョンファさんは、「数年前から日本製の包丁が1週間に2~3本ずつ売れている」と話した。主な顧客は1年に3000万~4000万ウォンを使うVIPだが、1億ウォン以上消費するトリニティ会員もたびたび訪れるという。キムさんは、「主に60代女性であるトリニティ会員は噂を聞いて日本の包丁をためらうことなく選ぶ」と話した。この百貨店で韓国製の包丁は見つからなかった。

  韓国製の包丁が立つ場所を失ったのはソウル・南大門(ナムデムン)市場でも同じだ。25年間包丁を売ってきたある商人は、「バラ包丁と呼ばれる1万ウォンの国産包丁を何度か売ったが顧客の反応もなく使い捨てに近いほど品質が落ちる。日本製の包丁はドイツが追いつくことができないほど優秀な品質を備えている」と話した。

  ウォールストリートジャーナルなど海外メディアと関係機関の評価でも数年にわたり最上位圏を守っている日本の包丁の製造秘法は何だろうか。25日に日本最大の刃物メーカーの貝印が初めて韓国人記者らを招いて工場を公開した。韓国と中国などアジア市場を本格的に攻略する方針という。

  閑静な郊外にある関市に位置した包丁工場は半導体工場を連想させた。微細な動きが可能なロボットアームが刃をつかむと砥石で研いだ。80人余りの従業員に包丁を渡す馬車式ロボットは床の黒い線に沿って動いた。従業員はほとんどが刃と柄を最後の段階で磨いたり検収作業をする。工場関係者は「内部的に研ぎ師の資格試験があり従業員の技術等級は1~3級に分かれる。技術力を認められた人は定年後も関連事業をできるよう会社が試演する」と話した。

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  • 壬辰倭乱当時の朝鮮の大将(右)と日本の大将が刃で争う絵。19世紀に日本の画家月岡芳年が描いた。ソウル大学のキム・シドク教授は、「東大門と咸興で起きた戦闘を混合して描いた」と話した。
  • 日本の包丁メーカー貝印の工場で従業員が製造工程最後の段階で砥石で包丁を研いでいる。