【ピープル】日本人の血筋で60年「韓国で生きる」網切一郎さん

【ピープル】日本人の血筋で60年「韓国で生きる」網切一郎さん

2005年08月16日09時59分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  「反日ではなく抗日の意志を固める日でなければならないのに…」--。

  日本人の血筋に生まれ、韓国人として暮らす「きのこ博士」こと網切一郎(マンジョル・イルラン、64、慶南梁山市内松里)さんは、8.15光復節のたびに心を痛めている。

  彼は反日の意味を「無条件嫌いだと排斥する感情的、破壊的対応」と説明した。一方、抗日は「競争を通じて日本を勝ち抜こうという未来指向的誓い」と解釈した。

  網切さんにとって1945年8.15は「生んでくれた恩」のある日本を捨てて「育ててくれた恩」 のある韓国を選択することになった劇的な事件だった。

  彼は42年、慶南金海(キョンナム・キムヘ)で日本人の警察幹部(警務課長)の家の8代続く一人っ子として生まれた。しかし光復で自宅軟禁中だった親が強制送還されてしまい、隣りの家に遊びに行っていた3歳の子供は突然、天涯孤独になってしまったのだ。

  そのときから隣りのヤンさん家族に面倒を見てもらい、戸籍にも「ヤン・イルラン」という名前で記載された網切さんは、29歳の70年、日本の鹿児島県に住む父親と再会し、日本国籍を回復したが、翌年、韓国に帰化した。

  「私のために何もしてくれたことのない日本より、私を育ててくれた韓国で、韓国人として住む方が自然だと判断した」と説明した。日本の姓をそのまま使うことについて「血筋の由来を人為的に変えたくなかっただけであって、(日本の)国籍を受け継ぐという意味ではない」と強調した。そのため、彼は戸籍に自分の姓を韓国式発音で「マンジョル」としている。韓国にマンジョルという姓が新しくできたことになる。

  網切さんは帰化2年後の72年、自分を育ててくれたヤンさんの息子が所有していた梁山郡内松里(ヤンサングン・ネソンリ)の野山を借りて、きのこ栽培を始めた。94年、国内で初めてエリンギ栽培に成功し、昨年、水参(スサム)よりサポニン成分が40%高い「紅参(ホンサム)エリンギ」を開発し、特許登録をした。これにより彼はきのこ博士として知られるようになった。

  韓国に根付こうとする努力も特別だった。80年から2年間、内松里里長を任命され梁山郡守から里長状を授与された。94年には約20世帯の内松里全体をきのこ村に一変させた。

  このような功労で99年、新知識人賞、2001年、新農民賞、大統領賞など、賞を10以上授与されている。

  梁山市と鹿児島県の農民の間で交換ホームステイを5年間、毎年1度ずつ続けているなど民間外交にも力を入れている。独島(トクト、日本名、竹島)問題が沸き立った2月にも、日本の農民5人を招待、来月にも梁山地域の主婦5人を日本に送る予定だ。

  網切さんは「60という生涯を韓国国籍で一生懸命暮らしてきたので、これからはもう『日本人』という肩書きを外してくれたらいいのですが…」と話していた。
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