주요 기사 바로가기

<フィギュア>“リトル・ヨナ”ユ・ヨン「トッポッキが食べられなくて残念」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.02.04 09:59
0
1/2
泰陵選手村で「フィギュア女王」キム・ヨナと一緒にポーズを取っているユ・ヨン(左)。その年齢にして優れた技量を持ち「第2のキム・ヨナ」と呼ばれている。(写真=ユ・ヨン)
2012年、少女は母親の手を握って7年ぶりに韓国に戻ってきた。韓国語があまりうまく話せず、仲の良い友人がなかなかできなかった。練習が辛くて泣かない日はないくらいだった。それでもあきらめなかった。氷の上で転んで起き上がることを繰り返しながら4年の歳月が流れた。彼女は最高のフィギュア有望選手として注目を浴びるようになった。「フィギュアの新星」ユ・ヨン〔12、文原(ムンウォン)小5〕だ。

ユ・ヨンはことし1月、フィギュア総合選手権で年上の選手をおさえて優勝した。キム・ヨナ(26)が保持していた最年少優勝記録(12年6カ月)を8カ月操り上げるものだった。1年前に開かれた選抜戦で7位に入って最年少国家代表になった後、驚くほどの速さで技量が伸びていった。キム・ヨナはユ・ヨンの演技を見て「私がその年齢だった時よりもうまく滑っている」と話した。

 
生まれて4週でシンガポールに渡ったユ・ヨンは、2010年キム・ヨナがバンクーバーオリンピック(五輪)で金メダルを取る場面を見てフィギュアスケートを始めた。

母親のイ・スクヒさん(46)にねだってシンガポールの室内スケート場に初めて行った。イさんは「一人で音楽に合わせてリンクの上で踊って、ジャンプも習った。1年後に韓国のスケート場に連れて行って衝撃を受けた。趣味でやっている子供たちにも及ばなかった。井の中の蛙だった」と話した。

しかし、ユ・ヨンはスケートをあきらめなかった。ジャンプを習う過程で数えきれないほど転んだが、ユ・ヨンはその度に立ち上がった。母親のイさんが「もう家に帰ろう」と言っても聞かなかった。ユ・ヨンは「辛い時もあったが楽しくスケートを続けた」と話した。

イさんは娘にスケートを体系的に習わせるために2012年に韓国に戻った。果川(クァチョン)スケートリンクの近くに23平方メートル(7坪)のワンルームを借りて毎日スケート場に通った。キム・ヨナが練習した、まさにその場所だ。

ユ・ヨンを指導したハン・ソンミ・コーチは「初めは平凡な生徒だった。学習速度もそれほど早くなかった。それでもいつも欠かさず練習した。勝負欲がとりわけ強い子だ」と説明した。毎日一日7~8時間の練習のおかげで、ユ・ヨンはアクセルを除く3回転ジャンプをすべて身につけた。

リンクを離れればラーメンとトッポッキが好きなあどけない子供だ。ユ・ヨンは「体重管理のために頻繁には食べられない」と言って残念がる。母親に不満を訴える少女だが思いやりもある。

ユ・ヨンは昨年、膝の調子が良くなく病院で治療を受けた。治療費で悩む母親に隠れてユ・ヨンはこっそり看護師に「後援を受けられる方法はないだろうか」と相談したりもした。

ユ・ヨンは泰陵(テルン)選手村から離れればならないところだった。氷上競技連盟がことしから国家代表選手年齢制限(13歳)規定を設けたためだ。ジュニア大会に出場できない満13歳未満の選手は太極マークを付けられなかった。

だが、有望選手を育成するための措置が必要だという世論が起き、連盟は「英才育成法案」を用意してユ・ヨンが泰陵で練習をできるようにした。

ユ・ヨンは3日、城南(ソンナム)の炭川(タンチョン)総合運動場スケートリンクで開かれた第97回全国冬季体育大会ショートプログラムで3位に入った。1位はキム・イェリム〔13、楊亭(ヤンジョン)小6〕が占めた。

4日、フリーで逆転優勝に挑戦するユ・ヨンは「緊張してジャンプで失敗した。あすは完ぺきな演技をしたい」と話した。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP