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韓国の教科書、光復後は検定→軍事政権時は国定→2010年から検定に復帰

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2015.09.13 13:19
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韓国の教科書発行体制は国定・検定・認定に区分される。国定教科書は政府が著作権を持ち直接発行する教科書を指す。民間が作り政府の検定審査に合格したものが検定教科書、教育部長官が認め市・道の教育長が承認したものが認定教科書だ。初めて教科書が3種類に区分されたのは1955~63年の第1次教育課程の時だった。

中高の歴史教科書は光復(解放)後の理念対立が深刻だった時期にも検定を維持した。国史編纂委員会によると、国民学校(現・初等学校)の全教科と中高の道義、国語、実科の教科には国定教科書が、中高の歴史科目には検定教科書が使われた。1956年の検定を通過した国史教科書は中学校が10種、高校が4種だった。その後検定・認定国史教科書は中高でそれぞれ11種まで増えた。

だが、朴正熙(パク・チョンヒ)政権は74年から国定に転換し維新政権を美化した。当時歴史学会は画一的な史観を注入しかねないとして激しく反発したが国定化を強行した。74年から中高の国史教科書は各1種類に統一された。

 
国史編纂委員会は歴史国定教科書に対し、「教育の本質的目的よりは政府施策を教育に効率的に反映しようとし、教科書体制の統一と中高の教科書の内容の間の体系化にも失敗したという批判を受けた」と評価した。

民主化の風が激しくなり検定・認定制は拡大した。1989年には小中高国定教科書の著作権と検定・認定教科書の審査権などを文教部が独占するよう規定した教育法第157条は違憲という憲法訴訟が提起された。1992年に憲法裁判所は「国定は違憲ではないが教育理念と教育現実に照らしてみると最も合理的で望ましい制度かという問題は別個」との判断を下した。判決文は「学生の創造力開発が活性化せず、場合によっては阻害されたり鈍化する恐れがある。自由民主主義の基本理念と矛盾したり逆行するもの」と指摘した。続けて「国定よりは検定・認定を、検定・認定よりは自由発行制を採択することが教育の自主性、専門性、政治的中立性を保障している憲法の理念を高揚し、合わせて教育の質を向上することもできる」との見方を示した。

その後も国定だった歴史教科書は2002年に始まった第7次教育課程で転換点を迎えた。学生に歴史を見る多様な観点を提供しようとの趣旨から段階的な検定転換が始まったのだ。金大中(キム・デジュン)政権時代の2002年に国史から近代史と現代史が分離して検定発行され、李明博(イ・ミョンバク)政権時代の2010年には国定で残っていた国史と検定である近現代史が統合され、検定韓国史教科書が発行された。現在検定の高校韓国教科書は8種類、中学校の歴史教科書は9種類だ。(中央SUNDAY第444号)



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