韓経:【コラム】日本の高句麗村=韓国

韓経:【コラム】日本の高句麗村=韓国

2017年09月21日09時51分
[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]
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  東京から70キロほど離れた埼玉県日高市は「高句麗村」と呼ばれる。駅名からして「高麗(こま)駅」と「高麗川(こまがわ)駅」だ。高麗は日本で高句麗を意味する言葉で、「こま」または「こうくり」と発音する。高麗王朝は「こうらい」と区別して呼ぶ。

  この一帯の地名と姓・学校・企業はもちろん、神社の名前にも「高麗」が入っている。高麗神社は高句麗滅亡後に日本に定着した流民が最後の王・宝蔵王の息子、高若光(日本名、高麗若光<こまのじゃっこう>)を祀るために建てられた。高若光は666年に外交使節として派遣されたが、滅亡した故国に戻れずここに残った。

  『続日本紀』によると、高若光は703年に王姓を受け、716年に高句麗の流民1799人を集めて高麗郡を建郡した。昨年は在日同胞が寄付金を集め、神社の入り口に高句麗の象徴である三足烏を刻んだ「高麗郡建郡1300周年記念碑」を建てた。現在の宮司(神社責任者)は若光の60代子孫の高麗文康氏が務めている。

  神社の行事に参加した人たちは「高麗大好き、日本大好き、韓国大好き」と叫んだりする。高句麗の流民の痕跡は中国遼陽と雲南、モンゴル「高句麗山城」、タイのチェンライなどにもあるが、日高市ほど根深いところは珍しい。

  高麗郡建郡の42年後には近隣に新羅郡ができた。九州には百済の村の南村がある。大阪の久太良洲(百済洲)の日本語「くだらす」は百済の古語「クダラ(大きな国)」に由来する。扶余(プヨ)の「クドゥレ」という地名と結びつく。熊本と公州(コンジュ)の旧名「熊津(ウンジン)」もつながりがある。

  明仁天皇は2001年の誕生日の記者会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じる」と述べた。来年の退位を控えた明仁天皇が昨日、高麗神社に参拝した。退位する前に韓半島(朝鮮半島)を象徴する神社を訪れて過去の反省と和解のメッセージを送ろうとしているのではという解釈がある。19世紀の行政区域改編で変わった今の日高という地名からも分かるように、ここには韓国と日本が共存する。

  いつか韓日首脳がここで会い、新しい未来を約束する場面を描いてみる。日帝強占期の痛みを考えれば「近くて遠い」隣国だが、悠久の歴史の大きな流れで見れば「近くて近い」のが両国だ。

  コ・ドゥヒョン/論説委員
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