주요 기사 바로가기

<チャイナインサイト>“食性”変わった習近平の中国…大陸国家から海洋国家へ急膨張中(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.11.16 17:09
0
習近平中国国家主席時代の中国はさまざまな面で変化した。中でも最も大きく変わったのがその“食性”だ。平原だけでなく雪山や砂漠など主に陸地だけに食指を伸ばしてきた大陸国家が海の味を知ったのか、海洋国家へと膨張している。このような結果として南シナ海ではベトナム・フィリピンなどと対立し、東シナ海では日本と摩擦を起こしている。韓国との間には離於島(イオド)をめぐる海洋境界画定問題が横たわっている。中国の海洋崛起をどのように見るべきか。

ドイツのゲオルク・ヘーゲルは「海は征服と貿易のために人類を呼ぶ」と述べた。19世紀末、米国務長官を務めたジョン・ヘイは「地中海は過去の海、大西洋は現在の海、太平洋は未来の海」と区分したりもした。

 
ところが、中国はこの海の女王である太平洋をすぐに横に置きながらもその女王が口ずさむ「自由と貿易」の歌を悪女の誘惑くらいに考えていたのか、最初から関心を持たないようにしていた。明を建国した朱元璋の航海禁止令と海岸封鎖令がそれだ。

朱は中国大陸を貫く大運河の建設に着手した。代わりに海岸を通じて運搬する貢物を海賊から守っていた当時世界最強の海軍を解体するという愚を犯した。また、貿易を通じて多くの利益を上げた地方の豪族を制圧するために外国との交易を断絶させた。

このような禁海政策の結果、中国は1840年のアヘン戦争敗北以降、「百年の恥辱(百年恥辱)」に耐えなければならなかった。その後、終わりのない下り坂を歩いていた大陸国家の中国に再び回春の海の味を教えたのは誰だろうか。

◆中国に海の味を思い出させた者は?

「角膜は寄贈し、死体は解剖した後に火葬して海に撒いてほしい」。中国改革・開放の総設計者、トウ小平の遺言だ。1997年3月2日、五色の花びらに包まれたトウの遺体はそのようにして中国東南部沖に撒かれた。

トウ小平は、生涯、海を愛した。中国建国の主役・毛沢東が川や湖での水泳を楽しんだとすれば、トウは荒々しい波が打ちつける海水泳が好きだった。その時毛の視線が内陸に向かっていたとすれば、トウのそれは水平線の彼方に向けられていた。

トウにとって、海は進出するべき市場であり、確保しなければならない領土だった。資本の船舶が縦横無尽に行き来する海で、トウは一国二制度(一つの国、二つの制度)や外資リミティッド制度など創意的かつ実事求是的な政策を次々と採用した。

トウは特に社会主義中国の東南部沿海地域に5つの資本主義の島というべき深センや珠海などのような経済特区を建設した。だからだろうか。世界的な中国学研究者である米ハーバード大学のジョン・フェアバンク教授も「トウ小平の改革・開放政策は中国の悠久なる大陸性の伝統から出たものではない」と言った。

トウは執拗に海に向かった。74年1月、当時中国人民解放軍総司令官だったトウ小平はこれという宣戦布告もなく北ベトナム(ベトミン)の西沙(パラセル)諸島をあっという間に占領して海南島に編入させた。また、87年3月、中央軍事委主席だったトウは南沙(スプラトリー)諸島までもを飲み込んだ。


<チャイナインサイト>“食性”変わった習近平の中国…大陸国家から海洋国家へ急膨張中(2)

<チャイナインサイト>“食性”変わった習近平の中国…大陸国家から海洋国家횂急膨張中(3)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP