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泣いてしまった韓米参戦の勇士たち…「映画は私たちの話だから」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.13 13:49
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上映会場には、興南撤収を指揮した当時10軍団長だったエドワード・アーモンド所長(1979年死去)の孫にあたるトーマス・ファーガソン予備役大佐(72)も参加した。彼は父親が第2次世界大戦中の44年に戦死し、母親とともに東京にいた母方の祖父のもとで幼少期を過ごした。ファーガソン予備役大佐と彼の新しい父親、母方の祖父アーモンド将軍はみな韓国に服務していた縁がある。ファーガソン予備役大佐は「母方の祖父は私に『避難民は共産主義が嫌いで自発的に来た人々だ。興南撤収作戦を計画する時間も安全性を検討する時間もなかった。私はすべき事をしただけだ』と話した」と明らかにした。以下は一問一答。

--祖父は、興南撤収について生前どのように話していたか。

 
「その時、とても苦しかったと言った。撤収作戦の最優先目標は、物資と軍人を最大限多く乗せるということだった。だが、自分だけを眺めている避難民を見て見ぬふりをすることもできなかったと話した。それで祖父はダグラス・マッカーサー司令官の承認も受けずに即席で船内の武器を捨てて避難民を乗せるという決定を下した。だが後日、問責ではなく避難民の乗船について称賛を聞いたといった」

--避難民に対しては何といったか。

「その時、人材が大きく不足していたという。それで避難民の助けを借りたい思いがあったし、避難民が2人1組で50ガロン(3.79リットル)のドラム缶を転がして船に載せたといっていた。避難民がいなかったらこの物資は燃やすか、そうでなければ敵に奪われていたと話していた」

--アーモンド将軍はどんな人だったのか。

「79年に祖父の葬式の時に私が読んだ弔辞のように『彼は愛国者であり軍人であったし、指導者であり父、そして私の祖父だった』といった。祖父はシェークスピアの『おくびょう者は千回死ぬが、男は一度だけ死ぬ』という言葉を最も好んでいたし、一生をそんなふうに生きた」

◆興南撤退=1950年12月の6・25韓国戦争当時、中国共産軍の攻勢で情勢が不利になるとすぐに咸鏡道(ハムギョンド)東北部戦線で作戦中だった米軍3師団と国軍首都師団が興南港から10万人の避難民と共に撤退した作戦。1万4000人の避難民を乗せたメロディスビクトリー号は、最も多くの人を乗せた船としてギネスブックに登録された。


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