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<慰安婦生存者13人証言>「苦労したことを知ってもらわなければ」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.20 09:48
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慰安所を出たが故郷の地は遠いばかりだった。お金が一銭もなかったスクイさんは2年余りの間、中国人の男やもめの家で過ごして彼がくれた小金を地道に集めた。1948年いよいよ祖国の地を踏んだが、すぐに故郷に行けず釜山(プサン)に向かった。文字を習うことができなかったスクイさんは故郷が正確にどこなのか戻る方法も知らなかった。3年間、釜山の風呂屋で女中奉公をした。そんなある日、幼少時の「『花芳寺(ファバンサ)』に行ってくる」という母の言葉を思い出し、花芳寺がある南海に戻ることができた。

辛い苦難の末に11年ぶりに帰ってきた故郷でも、スクイさんは身寄りがなかった。両親はすでに亡くなった後で、ほかの家族もあちこちに散っていた。慰安所生活で赤ん坊を持つことができなくなったスクイさんは、残りの人生を1人で耐えようとした。

 
その時、子供たちが現れた。隣に住んだおじいさんが「子供をちょっと見てほしい」として預かったが、おじいさんが少し後に亡くなった。おばあさんは子供を養女にした。少し後には町内の娘が男の子を預けた後に行方をくらました。孤児院を訪れて別の娘とも縁組をした。

スクイさんはそうやって出会った1男2女を育てながらも、子供が結婚し孫が成長するまで慰安婦被害の事実を隠していた。そのうちに2012年、市民団体の支援を受けて277人目の慰安婦被害者として登録した。その時、年齢は90歳だった。

その後パク・スクイさんは南海女性会とともに地域の学校を回って学生たちに会った。今後、健康が良くなれば最初にしたいことも学生達の前に立つことだ。「体の具合が良くなれば、学生たちに昔の歴史を教えたい。日帝時代の歴史…講壇に上がりながら私は多くの大学生や高校生たちに会った」。

今、スクイさんは病状がさらに深刻になり、家を出て南海のある療養院に入院している。14日、南海「スクイ公園」で開かれた平和の少女像の除幕式にも参加するはずだったが、ついに行けなかった。スクイ公園はパク・スクイさんの名前を取った公園だ。そこに、スクイさんが幼少期に貝掘りをしていた姿を形象化した銅像が立っている。

スクイおばあさんは、いつ少女像に会って、いつ日本政府からきちんとした謝罪を受けられるだろうか。横になったスクイさんは、除幕式の時に着るつもりだったきれいな韓服をぼんやり眺めていた。しわの多くなった顔に、一筋の涙がそっと流れた。


<慰安婦生存者13人証言>「苦労したことを知ってもらわなければ」(1)

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    2015.08.20 09:48
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    スクイさんが直接漬けた酒。スクイさんはお酒を近所の人と一緒に飲んで話すのが好きだった。
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