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<慰安婦生存者13人証言>「苦労したことを知ってもらわなければ」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.20 09:47
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「学生たちに会って昔の歴史を知ってもらわなければいけないのに…胸が苦しく腕や足がむくんで何もできない」。

6日、慶尚南道南海郡(キョンサンナムド・、ナムヘグン)の自宅で会ったパク・スクイさん(93)は、ずっとうめき声を出していた。スクイさんの言葉どおり腕や足はぷっくりとはれ上がっているようだったし、声は耳をそばだててやっと聞こえるほどだった。昨年までは人々の前で『涙にぬれた豆満江(トゥマンガン)』の一節を哀愁たっぷりに歌い上げたが最近、健康が急激に悪くなった。

 
パク・スクイさんは人々に会って話すのが好きだった。スクイさんのそばにいたキム・ポクキ(55)老人福祉士は「2、3年前には山から薬草をとってきて酒を漬けて、その酒を近所に分けてくれていた。いろいろな話をするのを楽しみにしていた」と伝えた。今でもスクイさんの枕元と冷蔵庫の中には大事にしている酒がある。ご近所さんと1杯ずつ一緒に飲んで、憂いを忘れさせていた酒だが、今は気力が落ちて酒のビンに手をのばすのも大変だ。編み物も長い間、手をつけていない。しかし日本にされた記憶さえも忘れたわけではない。スクイさんは力を絞り出して「かつて日政時代に苦労したことを人々は知っておかなければいけない」と話した。

スクイさんが強制的に慰安所に連れていかれたのは16歳の時だった。南海で生まれ育ったスクイさんは、いとこのお姉さんと一緒に海辺に貝掘りをしに行く途中に日本の軍人たちに会った。彼らは2人の少女の首に刀を差し出して強制的に黒い車に乗せた。

引きずられて行った場所は日本の名古屋だった。そこで朝鮮の少女10人余りと共に倉庫に閉じ込められた。数日後、突然少女に日本服を着せて化粧をさせると、どこかに再び連れていった。船で、そしてトラックで数日ほど行っただろうか。スクイさんは中国の満州の慰安所に到着した。

翌日から、テントを改造した慰安所には日本の軍人数十人が押しかけてきた。軍人は言うことを聞かなければ殴打もはばからなかった。スクイさんは苦痛の中で手首を切ったりもしたが、返ってきたのは再び鞭打ちだった。度重なる暴行に腰の骨が折れ、太ももを大剣で刺されたりもした。

満州と上海で地獄のような6年を送った後に解放が訪れた。スクイさんは混乱していた合間に、ほかの少女たちと一緒に命がけで慰安所を脱出した。その時スクイさんのいとこは日本軍の銃に撃たれて亡くなった。


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    2015.08.20 09:47
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    パク・スクイさんは青少年対象の講演があるときはいつも「日帝時代のご先祖が苦労したことを忘れてはならない」と強調した。だが健康が悪くなり講演をやめなければいけなくなった。
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