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日帝収容施設「仙甘院」の教官の息子・井原宏光氏が暴露

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.04.27 15:41
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 1943年、8歳の日本人少年が父に連れられて、日帝に呻吟していた韓国に来た。 父は京畿道安山市(キョンギド・アンサンシ)大阜島(デブド) の隣の小さな島、仙甘島(ソンガムド)にある「仙甘院」の教官だった。 少年はそこに収容された同じ年齢ほどの韓国の少年150人余りの悲惨な生活を目にした。 そして約50年が過ぎた今年、庚戌国辱100年を迎え、当時の状況を証言するため、26日に韓国に来た。

井原宏光氏(75)。 自由先進党の朴宣映(パク・ソンヨン)議員が27日に国会で開かれるセミナー「子ども勤労挺身隊をご存知ですか」への出席を要請すると、井原氏は快くこれに応じた。 26日に国会で記者と会った井原氏は「当時、仙甘院に収容されていた子どもたちは、小さなものを盗むなど軽い罪で捕まり、親や親せきも知らないまま死んでいったりした。そのか弱い霊魂を慰めたくて証言することになった」と述べた。

 
日帝時代、朝鮮総督府は浮浪者を収容するという名目で、1942年5月に「仙甘院」という施設を建設した。 独立軍の子孫も「仙甘院」の収監対象だったという。 連れて来られた少年は、午前中は皇民化教育を受け、午後には過酷な労働に投入された。 拷問と空腹に耐えられなかった少年らは崖の下に飛び降りたり、干潟に向かって脱出して西海(ソヘ、黄海)の潮流に流されたりもした。

「逃げた子どもが捕まり、殴られて死んでいくのを見たことがある。 口の中が血だらけになりながら『俺は日本人ではない』と叫ぶのを聞いた」。

井原氏はこうした罪責感から、1989年に「あゝ仙甘島」という懺悔小説を発表している。井原氏は「(韓日合併100年で)格別な意味がある今年、当時の霊魂を慰める慰霊塔が建てられればよい」と語った。


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