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【その時の今日】西洋の情報を国民と共有した日本、国王・側近が独占した朝鮮

2009.07.08 09:32
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1871年11月に横浜の埠頭で、米国・欧州諸国に派遣された岩倉使節団を見送るイベントが行われた。太政大臣の三条実美が朗読した送別のあいさつには使節団の性格や目標がきちんと示されている。「外国との交際は国家の安定と危機に関係し、使節の能力は国家の栄辱に関係する。今は大政維新、海外の各国と肩を並べるべき時点だから、その使命を遠い異国で完遂しなければいけない。内外の政治、将来の大業が成功するかどうかは実にこの出発次第であり、あなた方の大任にかかっている。大使は生まれつきの立派な資質を持ち、中興の功績がある元老だ。共に向かう多くの卿らはすべての国家の主席であり、官員らも一時の人物である。皆一致団結してこの立派な志のために協力し、職分を尽くさねばならない。私はあなた方の意志が実現される日が遠くないのを知っている。行け!海で蒸気船に乗り換え、陸地で汽車に乗り換え、遠い異国の各地を回り、その名を世に轟かせた後、無事帰国するよう祈りたい」。

 
使節団を率いた特命全権大使の岩倉具視(小さな蒸気船に乗った着物姿の人)と武士・大久保利通らは明治維新の主役であり、帰国後に政権のヘゲモニーを握った実勢だった。これらは政府の各省庁の中堅官吏ら41人と留学生43人など約100人を率いて壮途に就き、1872年9月までの1年10カ月にわたり、米国・英国・フランス、オランダ、ドイツ、ロシア、イタリア、スイスなど欧米先進国の文物と制度を見学した。

使節団が収めた成果は使節団に同行した歴史学者、久米邦武によって全5冊からなる「米欧回覧実記」という本に活字化、出版され、全国民が共有できる知識・情報となった。同氏が「使節のすべての成果を国民の一般的な利益と開発のために編集、刊行する」と本の始めの部分に書いたように、天皇ではなく国民を代表すると考えた岩倉使節団は自分らの経験を国民と分け合った。

10年後に日本を見習おうとした朝鮮(チョソン、1392~1910年)の朝士視察団(1881年5~8月)はそれらが収めた成果を盛り込んだおよそ80冊の報告書を高宗(コジョン、朝鮮第26代王)に謹上した。しかし書道に上達している衙前(朝鮮時代の官衙に所属した小役人)が2カ月にわたって一文字ずつ誠意を込めて手書きした絹の表紙のこれらの本は、国王と一部為政者の政策決定のための参考資料にすぎなかった。

1世紀前に東アジアで起きた近代へ向かった「時間の競争」で韓国が遅れてしまった理由がどこにあったかが自明である。


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