<取材日記>わだかまり残る「シルムと相撲」

<取材日記>わだかまり残る「シルムと相撲」

2004年02月16日18時43分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  「国民学校のころ、今の乙支路(ウルチロ)6街で、幕を張って相撲を見物したもんだ」--。

  解放(1945年8月15日)以来、韓国で初めて相撲が上演された今月15日、ソウル奨忠(チャンチュン)体育館の2階で会ったホン・ナムギさん(72)が思い出す60年前の記憶。 日本の植民支配期のことだ。

  1929年、朝鮮総督府は、当時朝鮮の学校に、相撲を強制的に普及した。 その2年前となる1927年12月、第1回朝鮮(チョソン)シルム(韓国相撲)大会を前に、検閲によって東亜(トンア)日報の関連記事を削除させた。「民族意識弾圧のひとつだった」と、往年のシルム王者、李万基(イ・マンギ)教授(仁済大)らは著書『シルム』(2002年、デウォン社)で語る。

  歳月を飛び越え、2004年2月、40人の力士がこの地を訪れた。 日本相撲協会の主催で、韓日議員連盟が後援した行事だった。 趣旨は「韓日ワールドカップ(W杯)共同開催を記念し、文化交流を促進する」というもの。

  皮肉にもその会場は、韓国シルムの「殿堂」たる奨忠体育館だった。 韓国シルム連盟本部があり、ソウルでのシルム大会は当然ここで行われる。 そこに、シルムではなく相撲の土俵が設けられたのだ。 そして「文化交流」という趣旨とは他の、何かぎこちないムードが終始ただよった。

  まず、文化交流の韓国側当事者である民俗シルム関係者が、誰一人招待されなかった。 「行事の参加の是非を問うファックスが1枚届いただけ」と、シルム連盟関係幹部は不快さを隠せずにいる。 相撲の本流であるシルムへの待遇がなってないという思いがある。 植民期に相撲から受けた弾圧も、忘れていないようだった。

  一方、ある日本の新聞が最近のコラムで、シルムを「スポーツ刈りにパンツ姿」と書いた。伝統と体系が弱いという彼らの理由からシルムを相撲と同格に扱うことを敬遠する日本人の本音が見え隠れする。

  そうしたわだかまりと視点の違いを残したままかけられた、文化交流の最初のボタン。 なにぶんにも、重く冷たい印象だった。
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