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朝鮮人参の日本不法搬出に協力した人たち(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.12.09 16:33
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17世紀末ごろから日本人の間では朝鮮人参ブームが起きていた。当時、日本人にとって朝鮮人参は万病に効く薬だった。ブームの震源地は釜山(プサン)にある倭館。「倭館の日本人は朝鮮人参を入れた木箱を身につけて一日中、朝鮮人参を食べている」「刃物でけがをした時も朝鮮人参を食べ、傷に塗る」という話が出てくるほどだった。

 
日本本土でも同じだった。対馬は江戸などに人参座という売り場を設置し、朝鮮人参を独占的に売って莫大な利益を得た。人参座の前には朝鮮人参を買おうとする日本人が長蛇の列を作った。「病気にかかった親のために朝鮮人参を買おうと孝行娘が体を売った」といううわさまでが公然と出るほどだった。専売を通して莫大な利益を得た対馬は、より多くの朝鮮人参を確保しようと血眼になり、その過程で毎年莫大な数量の日本の銀が朝鮮に流出した。当時、朝鮮の立場では朝鮮人参こそが最も重要な‘ドル箱’だったのだ。

1721年、日本の将軍・徳川吉宗は対馬に重要な命令を下した。対馬が運営する倭館を通して、薬材として使われる朝鮮の草と木、鳥と獣を全般的に調べて報告しろということだった。早くから『東医宝鑑』を通して朝鮮に深い関心を持っていた吉宗は「朝鮮薬材調査」を通して『東医宝鑑』に出ている薬材と処方を理解しようとした。しかし「調査」の本当の目的は違った。朝鮮から朝鮮人参の生草を搬出しようということだった。朝鮮人参を輸入するのに非常に多くの銀が流出すると考えた吉宗は、朝鮮人参を国産化し、銀の流出を防ごうと考えたのだ。いわば、一種の‘輸入代替産業育成計画’だった(田代和生、『江戸時代朝鮮薬材調査の研究』).

当時、朝鮮は朝鮮人参生草の搬出を厳格に禁じていたため、「薬材調査」という名目で朝鮮人参を手に入れようとする巧妙な計画でもあった。吉宗の命令を受けて事業を総括した林良喜は、対馬と倭館に調査のための指針を出した。朝鮮各地の動物と植物を必ず現物で調査するものの、現物の入手が難しければ詳細に絵を描いて持ってくるよう指示した。

調査事業を支障なく遂行するには朝鮮人の協力が必須だった。将軍の命令を受けた対馬は、莫大な資金を投じて朝鮮人を抱き込み始めた。朝鮮人参を日本に搬出するための秘密計画が始まったのだ。<続く>

ハ・ミョンギ明知大教授・韓国史


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    2010.12.09 16:33
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    江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗(写真=大庭脩著『徳川吉宗と康熙帝』、大修館書店)。
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