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ホンダ創業者「成功は、99%の失敗に支えられた1%だ」(3)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.12.29 17:03
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世界的な企業になったサムスングループも最初の頃は失敗の連続だった。1953年に始まった第一製糖の砂糖製造は、当時の技術としては無謀な挑戦だった。日本から製糖機を持ち込んで初めて機械をまわすと、すぐに砂糖の代わりに水飴のような液状の蜜糖が出てきた。創業者の李秉チョル(イ・ビョンチョル)会長は、ここであきらめなかった。失敗の原因を把握した末に、砂糖の原料である原糖をあまりにも多く注いためということが分かり、国産砂糖を生産することができた。翌年にスタートした第一毛織も初めての製品は失敗作だった。しかし失敗原因が機械の圧搾強度不足ということを知ってから正常な製品を生産し始めた。

サムスン電子がスマートフォン市場の強者になれたのも、失敗に屈せず画期的な突破口をつくったからだ。アップルが2009年末にiPhoneを開発して出すとサムスン電子は独自技術でスマートフォン市場に参入したが技術格差が大きかった。最初の作品として出てきたオムニアは、バグ(不良)が多くユーザーの間から失敗作という酷評を避けられなかった。しかしギャラクシーシリーズを出して一歩進み、大型画面のノートを出しながら市場の主導者になり始めた。失敗の危機で揺らがず、繰り返し性能を向上させて画面のサイズを変えて製品を多様化しながら消費者の心をつかんだ結果だ。

 
李健熙(イ・ゴンヒ)サムスングループ会長もいつも失敗管理の重要性を強調してきた。彼は外国為替危機以来、社長団会議で「失敗を完全に分析した後に資産化しなければならない。情報の共有、失敗事例の記録化ができなければ過去の失敗を繰り返す。失敗の経験を左右上下で共有すれば大変な資産になる」と強調した。これは2012年の新年の辞でも再度強調された。しかしこれを実践する系列会社はエバーランドぐらいだ。96年から「失敗パーティー」をしてきているエバーランドは、顧客サービス過程で失敗やミスが発見されれば社員が自発的に改善に出ている。その間に積み重ねたノウハウと教訓をオンラインデータベース化して社員が共有するという趣旨で、今年から「成功パーティー」に名前を変えた。

キム・ヨナが尻もちをつくことを恐れていたら、フィギュアクイーンになることはできなかっただろう。短期の成果に追われて安全中心だけで経営していては生存しにくい時代になっているのだ。

主要先進国が宇宙強国になったのもやはり絶えず失敗の原因を除去してきた結果だ。86年1月に米国のスペースシャトル「チャレンジャー」が発射から73秒後に空中爆発して乗務員7人が全員死亡した。寒い天候でゴムパッキングの1つが役割を果たせなかったことが原因として確認されたが、米国はこの時の経験を生かして発射技術の完成度を高めた。

日本も今は宇宙強国の隊列に上がっているが、90年代中盤まではいつもロケット発射に失敗していた。これは日本が国家レベルで失敗知識データベースを構築するきっかけにもなった。失敗知識データベースには事故原因と改善策までが徹底的に分析されている。94年のソウル聖水(ソンス)大橋崩壊や2003年代の地下鉄火災のケースも活用されている。日本は他国の失敗事例まで研究して、現実的な危機管理能力と経営知識を得ているのだ。


ホンダ創業者「成功は、99%の失敗に支えられた1%だ」(1)

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