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硫黄島で死亡の朝鮮人134人が靖国神社に

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.12.10 10:48
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1944年6月、当時23歳のミン・ジュンシク氏は釜山(プサン)港から硫黄島に向かう船に乗り込んだ。日本軍第109師団に招集されたという招集令状を受けてだった。彼が硫黄島に到着するとすぐに戦雲が漂った。守備隊司令官の栗林忠道中将は数カ月後に行われる最後の戦闘を準備していた。日本軍は島のあちこちに地下トンネルを掘り軍事基地を作った。

1945年2月19日、米軍は2時間にわたり爆撃を浴びせた後に島に上陸した。

 
情勢が米軍側に傾くと同年3月21日に栗林中将は本国に「弾丸が尽き水が枯渇して最後の決戦を行わなくてはならない状況だ。皇国に永遠の別れを告げる」という決別電報を送った。2カ月にわたる激しい戦闘で日本軍2万219人、米軍6821人が戦死した。日本軍に徴集されたミン氏を含め朝鮮人出身の軍人22人も全員死亡した。また、軍務員として動員された事実が確認された朝鮮人178人のうち115人が死亡した。ほとんどが米軍との交戦中に死亡した。

国務総理室所属対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会は9日、「硫黄島強制動員実態に対する基礎調査の結果、軍人・軍務員として朝鮮人200人が動員され、このうち137人が死亡したことがわかった」と明らかにした。硫黄島に強制動員された朝鮮人の実態調査が出されたのは初めてだ。

今回の調査結果によると、死亡した朝鮮人軍人22人は志願兵として日帝に徴集された後除隊した在郷軍人(予備軍)の身分だった。だが、戦況が悪化すると日帝が再招集し、結局硫黄島で全員戦死した。

当時軍務員だったパク・チャンヒ氏が「当時硫黄島に動員された軍務員も作業途中に戦闘訓練をした。1944年夏から空襲が激しくなり作業中に死亡した軍務員も少なくなかった」と明らかにした記録もある。日帝は死亡者全員を“玉砕”と処理し靖国神社に合祀した。玉砕とは名誉や忠節のために潔く死ぬという意味で日帝の侵略戦争を正当化する表現だ。彼らの未支給給与に対する供託金は580円に過ぎなかった。

委員会は旧日本海軍軍属身上調査表を確認した結果、朝鮮人軍務員死亡者115人も靖国神社に一括で合祀処理されたとみている。硫黄島で死亡した朝鮮人137人のうち遺骨が奉還された3人を除く134人の遺骨は依然として靖国神社にとどまっているのだ。委員会関係者は、「硫黄島で死亡した137人のうち134人の遺骨がまだ送還されていない。4月に日本政府が硫黄島で行っている遺骨発掘作業に韓国政府の共同参加を提案したが回答を聞くことはできなかった」と話した。

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    硫黄島で死亡の朝鮮人134人が靖国神社に

    2012.12.10 10:48
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    旧日本海軍軍属身上調査表を確認した結果、朝鮮人軍務員死亡者115人も靖国神社に一括で合祀処理されたとみている(写真は資料)。
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