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【噴水台】彼らが嫌いではなかった=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.01 16:58
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私が通っていた大学は、ダンディーな男子学生がたくさん通う(ことが分かった)学校だった。すっきりした容貌に洗練されたマナーを備えた、映画『建築学概論』の“江南(カンナム)兄さん”の雰囲気の男性たちのことだ。入学後初めての衝撃は「なぜ彼らは私たちの科だけを避けたのか」ということだった。代わりにそばの単科大授業の集まりや図書館で試験勉強をする時にこうした男子学生らとたびたび会った。バランスを取るのが容易ではなかった。江南どころかソウル出身でもない上に、女優スジのように容貌で勝負することも不可能だという自責の念のためだったのだろう。

代わりに「酸っぱいブドウ」戦略を採択した。ブドウのツルの上のほうにぶらさがったブドウを取りたかったのに結局失敗したキツネが「あれは酸っぱいブドウだろう。まずいのは明らかだ」と負け惜しみを言って離れるというイソップ童話の1つ。「あなたの学校に素敵な男子学生は多くないの?」という高校の友人には「私は別にそんなスタイルじゃない」と応酬した。まともに会話してみたこともない中で、「言葉が通じない。見た目だけ飾っているような子たちだ」と悪口をならべることもした。

 
こういう「黒い歴史」のためであろうか。“味噌女”“キムチ女”という言葉で女性たちを卑下するのに余念がないこの頃の若い男性たちの心を、少しは理解できるようだ。最近会った男子大学生は、「同じ科の同期女性たちを見ると、美しくて賢く、目が高そうな子たちがとても多い。好感は持っても『自分のことを好きなはずがないだろう』という考えから始まる」とした。先週、新人歌手ブロ(Bro)が発表した『そんな男』という歌は「条件の良い男を探す」女性たちを攻撃する歌詞で議論になった。「背が高くて財閥2世ではないが180はあって年収6000(約600万円)の男(…)そんな男が君に夢中だと言って会うのか」という内容だ。

結局、性の対決というよりは階級の葛藤ではないのか。単に経済的な問題だけでなく、容貌や学閥、持って生まれた雰囲気など恋愛階級を構成するさまざまな要因の総点で自信がない者たちが相手を「酸っぱいブドウ」に引き降ろして吐き出している怒りだ。これは男女問題だけなのか。社会学者キム・チャンホは最近『侮蔑感』という本で、韓国社会のあちこちに無差別的な非難が幅をきかせている理由を「低い自尊感」のためだと説明した。すべてが最高でなければ認められないという欠乏・空虚感が他人への侮蔑、過度な嘲弄としてあらわれるということだ。

その上、男女問題には独特の好みや「私の気持ちは私にも分からない」式の心ひかれるような階級間の和解の可能性を高めるミステリーな条件が存在するというのが希望というか。私が嫌いな(ふりをした)その江南兄さんの中にも、後日、私の「小生意気さ」にひかれたことがあると話した人がいたので。信じようが信じまいが、今日はエイプリルフールなのだから。

イ・ヨンヒ文化スポーツ部門記者

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