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【コラム】五輪は金メダルのために存在するのか?=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.08.19 13:39
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韓国とは昼夜が逆のブラジルでオリンピック(五輪)が開催されていて現場中継で競技を見ることが難しいからか、別の理由があるのかは分からないが、過去のように五輪に対する韓国の人々の関心は少ないという声が聞こえる。ロンドン五輪のように金メダルを獲得する選手の数が多ければ、人々は睡眠を削ってでもテレビを見るのだろうが、残念ながらリオ五輪でのメダル数は以前ほどではないようだ。しかし一方で、私たちは五輪を見ながら、あまりにも勝つことだけに執着してきたのではないかと反省してみたりもする。なぜなら五輪に出て、競技に勝って金メダルを獲得する選手より、メダル圏外だが最善を尽くして帰ってくる選手の方がはるかに多いからだ。

統計を見ても、リオ五輪よりメダルの成果が良かったロンドン五輪の出場選手248人のうち、すべての競技に勝った選手の数は団体戦の金メダル選手を含めて計18人にすぎなかった。しかしその数よりはるかに多い230人の選手が競技で敗れたり、メダル圏に入れず静かに帰国する。もし五輪をする理由が競争を通じて自分の実力が他の選手より優れていることを証明し、金メダルを獲得して英雄になって帰ってくることなら、ごく少数の成功者と大多数の失敗者を量産する不幸な舞台になってしまう。銀メダルを獲得しながらも「自分は金メダルを取れなかったので英雄ではない」と語った北朝鮮の重量挙げのオム・ユンチョル選手のようにだ。

 
五輪を含め、私たちの人生を常にこうした競争の観点で眺めて解釈すれば、1位になれない大多数の人たちの人生はみすぼらしく無意味なものに転落してしまう。同時に、自分を退けて上がっていった少数の成功した人に対する嫉妬と怒り、剥奪感も強まるしかない。他人との競争で勝利することだけに価値を置くなら、他人の失敗がすなわち自分の成功に、自分の失敗が他人の成功になるゼロサムゲームが私たちの人生になるからだ。こうした信念を持っている人は利己的になるしかなく、目標さえ達成できるのなら数年間の過程は楽しむどころか、ただ我慢して耐える人生になってしまう。さらに自分の価値を自ら定めるのではなく、他人との比較による等数で決められれば、常に不安になるしかない。自分の人生の価値決定権が自分にあるのではなく他の人々が握っているということだ。


【コラム】五輪は金メダルのために存在するのか?=韓国(2)

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