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【コラム】マル・バツの旗だけ掲げる韓国メディア(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.01.15 14:31
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神は、細部に宿る。米国の建築家(ミース・ファン・デル・ローエ)の言葉だ。そうやって愛した恋人との決別も小さな争いから始まる。大型崩壊事故もネジ1つからだ。韓国メディアの危機も、やはりささいに見えるものなどを無視してきたところから始まったのかも分からない。

9日、ソウル南部地方裁判所で放送局への損害賠償判決が下された。「幼稚園教諭が園生の体に接触する映像を2倍速で回して教師が子供を殴ったように報道した」。放送局側は「ニュースは時間の制約が多く、やむをえず編集する場合が多い」と抗弁したが受け入れられなかった。裁判所の判断はこうだ。

 
「一部映像は繰り返して見せる編集方法を取りながら、一部映像は時間制約で速く再生させたと主張しており、それ自体矛盾する。たとえ放送時間の制約があるといっても編集を通した事実のわい曲が正当化されることはできない」(判決文より)。

まだ控訴手続きが残っている。明らかなことは、映像再生速度にまで検証の定規を当てているという事実だ。題名や記事内容はもちろん伝達方式にも徹底を求める時代だ。

それでもメディアは「ヤマ主義」から抜け出せずにいる。ヤマは、記事の主題や方向性を示す日本式の隠語だ。記事を作成する時に、あらかじめ予想しておいたヤマに合うケースは生かし、合わないケースは殺す。避けられない面はある。メディアの主な機能の中の1つが、課題設定だ。メディアの見解を鮮明に提示するには、やむを得ず取捨選択をしなければならない。紙面や放送分量も限られている。だがヤマにだけ執着する「ヤマ主義」は事実を誇張してわい曲させる。複雑で重層的な現実を1つの枠組みにはめ込んで合わせること自体が無理だ。

その弊害は、政治の領域で特に深刻だ。メディア指向に合う政治家の誤りには目をつぶりながら、指向が違う政治家には鋭いメスを入れる。「従北VS愛国」「独裁VS民主」「親盧VS親朴」に分断することによって陣営論理を拡大再生産する。その結果、事案は同じでも解釈は正反対となる。


【コラム】マル・バツの旗だけ掲げる韓国メディア(2)

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