【社説】海軍哨戒艦の沈没、詳細に説明すべき
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.03.28 09:39
26日夜、西海(ソヘ、黄海)ペクリョン島の海上で発生した海軍哨戒艦沈没事件で国民全員が衝撃と悲嘆に陥った。訓練兵の生活を終え、祖国の大韓民国の海を守るという気持ちを胸に「天安(チョンアン)」に乗船したばかりのチョン・テジュン、チャン・チョルヒ二等兵、カン・テミン、キム・ソンホ、チョ・ジフン、ナ・ヒョンミン一等兵ら46人の若い兵士が行方不明になった。1967年1月17日、東海(トンヘ)上で哨戒任務を遂行中、北朝鮮軍海岸砲台の攻撃を受けて沈没し39人が死亡したダンポ艦事件、74年に李舜臣(イ・スンシン)将軍の戦跡地忠烈祠を参拝して戻る途中に突風を受けて沈没し、海軍・海上警察159人が死亡したYTL艇事件以来、最悪の海軍惨事だ。3月の冷たい海に落ちた息子の名前を呼ぶ母の嗚咽が胸を痛ませる。
現在、原因究明をしているというが、納得できない事故をめぐり疑惑が増幅している。失踪兵士の家族は胸が張り裂けそうな心情だろう。「なぜ将校は救助され、一等兵、二等兵など兵士らだけが行方不明なのか」「沈没から3時間が過ぎてもなぜ救助できなかったか」。27日午後には、救助された軍人の証言が出始めた。「爆発音が聞こえ、船が真っ二つに折れた」と話した。26日に艦長の報告を受けた後に開かれた国防部の最初のブリーフィングと、軍人の証言の間には大きな差がある。最も知りたい点は北朝鮮の挑発かどうかだ。青瓦台(チョンワデ、大統領府)は事故の直後、「憂慮していること(北朝鮮の挑発)ではないようだ」と説明した。国民の不安を解消するという意図なのかもしれないが、性急だったという印象もある。現場から軍指揮部を経て李明博(イ・ミョンバク)大統領に報告がきちんと行われたかどうかも明らかでない。