ハンナラ党はこれまで嶺南(南西部)地方を基盤としていた。16代総選時は全議席(64席) 嶺南出馬者だった。17代時も68席中61席だった。嶺南議員が所属議員の半数を超えた。頑丈な堡塁だったが、彼らは“公認=当選”であり、首都圏など全国的民心の変化に注目しきれないという批判もあった。そのため“嶺南党”と呼ばれた。
しかし18代国会には変化がありそうだ。数字を見れば“首都圏党”になった。首都圏当選者が81人で、全体議席(153席)の半数を超える。嶺南では無所属出馬議員の多数当選でハンナラ党候補68人のうち46人が生還しただけだった。内容も変わった。以前は多選議員らが主に嶺南に布陣していた。一度公認を受ければ以後、当選の数を増やすことが難しくなかったからだ。首都圏には主に若手が布陣した。