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30年前は深セン、今は重慶…資金の西部大移動に目を向けるべき=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.01.15 13:09
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中国主要都市には創業と再起を夢見る韓国企業家が少なくない。中国駐在員生活を終えて現地で創業したり、韓国で失敗した事業家が中国で新しい人生に挑戦したりもする。ビジネス経験と技術を身につけたこの人たちは「窮すれば、すなわち変ず。 変ずれば、すなわち通ずる(窮則変、変則通)」という“変化”精神で、中国市場開拓に汗を流している。

◆一つ目、地域を変えろ。

 
重慶江北空港から成兪高速道路を1時間ほど走れば到着する銅梁県金龍工業団地。入り口にある威斯特エレベーター工場は第2組立場とタワーの建設が進められている。創業者のクォン・オチョル総経理(55)は韓中国交正常化の翌年の1993年から上海で、国内有数のエレベーター会社の駐在員として勤務した。エレベーターの設計・組立・営業分野をすべて経験したクォン総経理は2005年の退社後、重慶で創業した。

クォン総経理は「中国事業を考えるなら人口移動統計を見るべき」と助言する。投資環境と市場を考えれば、西部に未来があるということだ。重慶両江新区は今も「30年前の深セン、20年前の浦東、10年前の濱海を逃したとすれば、今は重慶に来るべき」とし、各種税制優遇を掲げて投資を誘致している。

◆2つ目、ローカル(中国)企業と取引しろ。

販路を変えろという意味だ。上海松江の余山工業区にある掘削機の核心部品会社、帝城油圧の生産工場。2003年に創業したイ・チャンホ社長は国内屈指の掘削機製造会社の元駐在員だ。イ社長は創業初期、同種部品会社がグローバル企業への納品に血眼になっていたのに対し、中国企業に注目した。中国企業に対して乙の立場になることを決めたのだ。

「可能性が実績につながった」。2003年2%台にすぎなかった中国ローカル重装備製造会社の市場シェアが50%台に急増し、同社の部品需要も大きく増えた。「中国に勝てなければ合流すべき」。イ社長の助言だ。

◆3つ目、ブルーオーシャンを狙え。

上海で農業関連事業をしているサンフレのチャン・ジャンウォン社長は、忠清北道清州で失敗を経験した後、アイテムを変えて再起したケースだ。周囲の人たちが「可能性はない」という農業に挑戦した。チャン社長は「食の安全に敏感な中国の消費者をターゲットにするため農業を選択した」とし「特に最高級有機農商品に全力を尽くしたのが功を奏した」と話した。それでも中国創業がすべてバラ色だったわけではない。安易に飛び込めばほとんど失敗する。

KOTRA(大韓貿易投資振興公社)上海貿易館のキム・ミョンシン次長は「豊かな情報力と資金力なく参入すれば百戦百敗となるのが中国」とし「確実な供給先と市場がなければ始めるべきでない」と忠告した。

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