【コラム】ある“アフリカ系韓国人”の悲哀(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.01 14:06
筆者の慶煕(キョンヒ)大学同僚であるエド・リード教授が、この前仁川(インチョン)空港で目撃した光景について聞かせてくれた。ある黒人が出入国審査場の“韓国人”審査台の列に立って待っていた。親切にも3人の韓国人が順に彼に近付いてそばにある“外国人”専用窓口側の列に移るよう言ったという。とても不快そうに見えたが、頑固に立ち続けていた。やがて彼が出入国審査を受ける番がきた。実はその“黒人”は大韓民国の国籍を持つ堂々たる韓国人だった。
韓国で“多文化”は普通、東南アジアや中国出身の外国人妻と韓国男性がつくる家庭だけを指し示す用語として誤って通用している。もちろん彼らもまた韓国文化の一員として受け入れなければならない。しかしこれらの家庭だけが多文化というのは明らかに語弊がある。韓国社会で多文化は、ほかの文化を吸収して統合できる包容的な文化を作ることを意味しなければならない。多文化の基盤は、外国人を受け入れて変化させるだけでなく、海外同胞、養子さらに北朝鮮同胞までも抱く包容的な文明でなければならない。
国際化が成功するには、もともとあった伝統を現代の人の目で再解釈する過程がなければならない。伝統的な価値体系、哲学、文学に深く根をおろさなくてはいけない。韓国文化がシンガポールや香港と全く差がなければ、韓国という国家に対して自負心と愛を感じるべき理由があるだろうか。