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<ノーベル賞の話>統合失調症のジョン・ナッシュ(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.06.07 15:40
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1959年ナッシュがコロンビア大学で開かれた学会講演であきれるような言動をすると彼の精神問題は天下に知られるようになった。病院で妄想性統合失調症と診断された彼は結局、MIT教授職から退いて10年間余り精神病院の入退院を繰り返して生きなければならなかった。

人生の荷が重くなりすぎた妻は1963年に彼と離婚し、ナッシュは母親がいるバージニアに行った。ナッシュは強制入院と投薬を嫌ったので理性的な考えで妄想を振り切ってしまおうと努力した。1970年から前妻アリシアはプリンストン近辺にある自分の家にナッシュをとどまらせた。プリンストン大学は彼に図書館を使わせ講義も聞けるようにした。彼の身なりや行動は特別だったためにキャンパスのすべての人々に簡単に目についたが、彼が実際に誰なのかを知っている人は多くなかった。幸い一般社会とは別にプリンストン大学ではそのような身なりや変わり者の行動を「他人とは違う」程度とみる雰囲気だったためにナッシュはプリンストン共同体の一員のように感じた。症状が好転したナッシュが1980年代いつの間にかインターネットを学んで徐々に当代の数学者らと交流し始めると、すぐに人々は彼がまだ生きていることを知るようになった。

 
ノーベル経済学賞を選考するスウェーデン王立科学アカデミーは、1985年からゲーム理論についての受賞を検討し始めた。1990年からは本格的にナッシュの寄与度はもちろん彼の病歴まで調査したが、彼の精神状態のため選定に苦心したと伝えられている。当時ゲームの理論を研究した経済学者や数学者にとってナッシュは敬拝の対象だった。ナッシュの同僚だったプリンストン大学のハロルド・クーン教授は彼らと共に科学アカデミーを粘り強く説得し、ナッシュはついに1994年、受賞の栄誉を授かることになる。7年後に前妻と再婚したナッシュの人生も劇的に終わりを告げた。2015年、妻と共にノルウェー政府が突出した数学者に与えるアーベル賞を受賞して米国の自宅に戻る途中に交通事故で一緒に亡くなったのだ。享年86歳だった。

ある者はナッシュの均衡理論を20世紀の10大経済学理論の1つに挙げ、ある者はDNAの二重らせん構造を解いたことと同じ偉大な業績だという。一部の数学者はナッシュの均衡理論が彼の業績の中で最もつまらないことだと話すほどに彼は数学分野でも記念碑的な成果を出した。驚くべき点は、彼がこのすべての成果を30歳以前に成し遂げたということだ。この後、彼は論文を出したこともなく、その後プリンストンの寛大な配慮でシニア数学者というタイトルを持った以外には職を得たこともない。

ナッシュの波瀾万丈な人生には私たちが注目する要素が多い。ナッシュの天才的な才能を確かめた学部の指導教授、彼を破格的条件で呼んで27ページの論文で博士学位を与えたプリンストン大学の数学科、離婚した前夫を世話したアリシア、精神異常者がキャンパスを使って徘徊することができるようにしたプリンストン大学、躊躇する王立科学アカデミーを説得した同僚クーン教授と一端の数学者たちだ。本と映画として出てきた「ビューティフル・マインド」はナッシュを主人公にしたが、事実は彼の周辺の人々が彼を「ビューティフル」に接したからこそナッシュはノーベル賞を受賞できた。精神疾患者に対する周辺の関心と配慮が良い産物なのだ。

キム・ソニョン ソウル大学生命科学部教授


<ノーベル賞の話>鶓合失調症のジョン・ナッシュ(1)

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