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<ノーベル賞の話>統合失調症のジョン・ナッシュ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.06.07 15:40
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この頃相次いだ殺人や暴力事件で、統合失調症のような精神疾患が非常に注目を浴びている。さらに精神疾患者を潜在的な犯罪者のように扱ったメディアもある。「精神病」に対する偏見が激しい韓国社会で彼らがさらにアウトサイダーに追いやられて根拠なき差別を受けないだろうかと心配になる。

一般の人たちの考えとは違い、統合失調症や自閉症・多動性障害のような精神関連の症状を持つ人々の中から科学・芸術・事業など多方面で優れた業績を出したケースが多い。ゲームの理論を現実に適用できるよう発展させた功績で1994年にノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュがその一例だ。

 
ナッシュは1928年、電気技術者の父とラテン語教師の母の間に生まれた。彼の父は、神童だったがそれでもオールAの学生ではなかったナッシュを手厚く見守っていたという。ナッシュは絶えず読書をしていたし、バッハ音楽の全メロディを口笛で吹いたという。彼は全額奨学金で今のカーネギーメロン大学に入学し化学工学から化学に、さらに数学に専攻を変えながら19歳の年齢で学士と修士学位を一度に取った。当時ナッシュはドイツの偉大な数学者の名前にあやかって「若きガウス」というニックネームがつくほど数学ができた。卒業後は指導教授から「ナッシュは数学の天才だ」という一行の推薦状をもらってプリンストン大学院の数学科に入った。

当時プリンストン大学は数学と科学において世界の中心地と見なされていたが、アルベルト・アインシュタインと水素爆弾の数学的理論および現代式コンピューターの開発に寄与したジョン・フォン・ノイマンがいたからだった。特にノイマンは1944年にオスカー・モルゲンシュテルンと共にゲームの理論を発表したが、これは競争に対する最初の論理的・数学的解釈であったため多くの注目を浴びた。

だがその理論は1人が勝利すればもう1人は必然的に敗北する勝者1人占めのゼロサムゲームを扱ったため特殊な状況を除けば現実社会に適用することが難しかった。ところがナッシュは競争者間の非協調的関係でも相互間に利益をみることが可能な状況を研究したのだ。例えば企業間の競争、貿易交渉、議会での与野党間の交渉さらには生物の進化に至るまで多様な実際の状況に適用されることができるゲームの理論が確立されたのだ。このような「ナッシュ均衡」理論によって彼はたった27枚ほどの学位論文を書いて3年後に博士学位を受け、その理論でノーベル賞を受賞することになる。

ナッシュは1951年、MIT数学科に講師として就職しながら激動の人生を始める。1年後にエレノアという看護師とつきあったがナッシュは彼女が妊娠したこと知って彼女から離れた。1954年には同性愛者おとり取り締まりチームにひっかかって受難を体験し、1957年にはMITで物理学を専攻したアリシアと結婚した。1958年にはMITから定年保障を受けたが、わずか1年後に辞任した。

ナッシュの行動は常にほかの人々とは違っていたが彼の病的症状が問題になったのは1959年からだった。彼の精神状態は映画『ビューティフル・マインド』でよく描かれている。彼の症状は妄想と幻聴だったのだが、例えば赤色のネクタイを締めた人は全て自分に害を与えようとする共産主義者だと信じるというものだった。


<ノーベル賞の話>統合失調症のジョン・ナッシュ(2)

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