第2次世界大戦以後、米国政府は対韓半島(朝鮮半島)政策でどのように民主主義的な理想を実現するのかに苦心した。韓半島を占領した米軍は、血に染まった沖縄の戦場からすぐに来た。日本語通訳の将校しかいなかった。占領軍は韓国を統制するのに日本人らの助けを受けた。相当数の若い米軍将校は、日本人を通さずに韓国の民主勢力を直接支援すべきだと主張した。だがトルーマン政権は一日も早く韓半島と手を切りたかった。日本とフィリピンを共産主義から保護する、費用対効率がより高い防御線を張るためであった。朝鮮戦争の結果として防御線が休戦ラインに北上した。その後、米国の民主化政策はほとんど全面的に反共主義の脈絡で形成された。
ベトナム戦争は、外交政策で民主主義が占めるべき比重についての議論を混沌状況に追い込んだ。米議会は軍事的・経済的支援と人権を連係した法案を通過させた。ジミー・カーター大統領は、米軍撤退と野党を弾圧する朴正煕(パク・チョンヒ)大統領を懲らしめるという公約で1977年に執権した。カーター大統領の政策の結果は、混乱そのものだった。